セールの変調

夏のセールが苦戦しています。
今年は暦の影響で6月27日からスタートしたところが多かったようですが、以前のような各
店一斉スタートではなく、バラバラのスタートが盛り上がり感に欠ける原因の一つであると
も言われています。
又、天候不順も一因であると指摘する声もあります。
一方でセール期間中にプロパー商品がよく売れているという話もよく聞きます。
これはどういうことでしょう?
お客様は以前よりもセールに反応しなくなっているように思います。
価格が下がったから買うのではなく、欲しいから買うという素直な購買動機にもとづいて
いるのだと思います。
はたして、お客様が欲しい時に適正な商品が提案できているのか?
検証してみる必要があると思います。
3月の寒い時期に春夏物はあまり売れません。9月の暑い時期の秋冬物も同じです。
6月のレインシューズはよく売れます。
季節の先取りはせず、季節に入ってから売れ出しているという傾向です。
春も4月5月6月と同じではありません。秋も9月10月11月と違います。気分も気候によって
大きく左右されます。
そうなると、春物や秋物はもう少し時期によって違った商品を提案することが求められてい
るのではないかと考えられます。
どこに答えがあるのかわかりませんが、今年のセールの変調をみて、消費者の変化を感
じざるを得ません。

リネアペッレ2014

先日、イタリア・リネアペッレ展示会主催の2015/16年秋冬イタリアンレザー最新トレンド
セミナーに行ってきました。
リネアペッレ展示会とは、イタリアで毎年開催される皮革を中心とした資材展で、全世界
からデザイナーやバイヤーが訪れます。
イタリアの皮革は世界のトップレベルであり、欧州での生産の65%、世界での生産の17
%を占めています。
皮革を使う業界は、私たち靴メーカーの他にバッグ、衣類、家具、自動車等、様々であり
ます。
その中で特に成長が著しいのが、自動車産業で革張りシートの需要が伸びています。
中国を中心とした富裕層は革張りシートを好むらしく、10年位先まで皮革の買い付けが行
われており、相場価格の押し上げ要因になっています。
今回のセミナーは、光をテーマとしており、その色彩の洗練さ、加工技術の高さ、発想の
独創性等は、さすがイタリアと思わせるものばかりでした。
最近のもの作りが、流行トレンドをいかに早く、安く、大量に作るかという方向にシフトして
いるように感じるのですが、高くてもいいものをしっかりと作っていくもの作りに回帰してい
くべきだと感じています。
そのようなことを再認識させられたトレンドセミナーでした。

超絶技巧!

先日、三井記念美術館で開催している 「超絶技巧!明治工芸の粋-村田コレクション
一挙公開-」 という展覧会に行ってきました。
今まで工芸品というジャンルにはあまり興味を持っていなかったのですが、技術の高さ、
独創性、職人の心意気等、すべてにおいて度肝を抜かれるくらい感動し、今年観た展
覧会ではまちがいなくナンバーワンだと思います。
明治時代の工芸品は、ほとんどが海外輸出用であったため、日本にはほとんど残って
いません。
その当時から海外の評価は高かったのですが、名品のほとんどが海外のコレクターが
所有していたので、日本ではあまり注目されませんでした。
1980年代後半、村田理如氏 (村田製作所創業者の子) が海外で明治の工芸品に出会
い、この明治工芸の驚くべき達成を日本人に知らしめたいという熱意を持って収集をはじ
めたそうです。
村田氏は四半世紀ほどの間にオークション等を通じて、それらを買い戻し、現在約1万点
を超す質の高いコレクションになり、京都の清水三年坂美術館で常設展示しています。
そこで、なぜ明治の美術品が素晴しいのかという疑問がうかんできます。
江戸時代は戦もなく平和な時代でした。大名たちはお抱えの職人たちに調度品や武具
を作らせていましたが、実用的なものから装飾的なものになっていき、芸術の域に達した
のではないかと思います。
その後、明治維新を経て失業対策と外貨獲得のため、超絶技巧を生かした輸出用工芸
品作りにシフトしていったと思われます。
そこには大量生産にはない根気のいる精巧さと独創的なアイデア、繊細さが絶対必要で
あり、当時の日本人職人のプライドをひしひしと感じます。
美術、芸術に興味のない人でも、これらの作品を目の前にすれば理屈ぬきで「すごい!」
と感じると思うので、機会があれば是非、実物をみていただきたいです。

社員旅行2014

先日、年1回恒例の社員旅行に行ってきました。
場所は滋賀県びわ湖畔のおごと温泉で天候にも恵まれ、湖上クルーズも楽しむことがで
きました。
今年は新入社員2名 (女性) も参加したので、平均年齢もグッと下がりました。
私たちは毎年このような社員旅行 (自由参加) を実施しているのですが、昔は靴職人さん
たち中心で、私自身が一番若い時もありました。
しかし、気がつけば今は私が一番年上になっており、時の流れを感じずにはいられません。
宴会のあとのカラオケも昔は演歌中心であったのに、今年は話題のアナ雪の「ありのまま
で」やAKBが中心でした。
若い社員たちは、その後も夜中までトランプをして盛り上がっていたようです。
「若いっていいな・・・」とふと思うことは、20年前に諸先輩方から言われていた言葉そのま
までした。
「でも、まだまだ若いモンには負けへんで」と次に思ったことも、20年前に諸先輩方は言っ
ていたような気がします。
時代はくり返される・・・
20年後、どのような社員旅行になっているのか、この目で見れるように頑張っていきたいと
思っています。

帝国ホテルプラザ店オープン

弊社としては5店舗目の直営店を東京・日比谷の帝国ホテルで4月26日にオープン致し
ます。
店舗名は「サロンドグレー/ゴールドファイル帝国ホテルプラザ店」で帝国ホテルタワー館
内の帝国ホテルプラザ3Fにあります。
商品はサロンドグレーの婦人靴とゴールドファイルの婦人靴・紳士靴・バッグ・革小物と
たくさんのアイテムを御用意して皆さんの御来店をお待ちしています。
これで東京の直営店は帝国ホテル、ホテルオークラ、ホテルニューオータニと「御三家ホ
テル」に出店することになりました。
しかしながら、若い人には「御三家ホテル」といってもわからない人が多いようです。
芸能界でも古くは橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦が「御三家」と言われ、その後、郷ひろみ、
西城秀樹、野口五郎が「新御三家」と言われるなど、そのジャンルで抜きんでたビッグス
リーを呼ぶ名称であったように思われます。
おそらく、徳川御三家 (尾張・紀州・水戸) からの名残だと思います。
御三家という言い方以外でも、三つをまとめた言い方は数多くあります。
芸能界では、たのきんトリオ (田原俊彦・近藤真彦・野村義男)、花の中3トリオ ( 山口百
恵・桜田淳子・森昌子 )、一般的にも三人娘、三人衆、三羽がらす等、ある方面でのすぐ
れた三人を表す呼び方としてよく使っていたように思います。
しかし、いつの時代からか三という数字でくくられることは少なくなりました。
久しぶりに三が注目されたのは、世界のナベアツの「三の倍数と三が付く数字のときだけ
アホになります」というネタでありました。
日本には日本三景、三名城、三名園等の呼び名が残っているので、私たちもいつかは日
本で三つの指に数えられるようなブランドになりたいと思っています。

失敗を恐れるな!

桜の季節を迎え、新しい学校や新しい会社というステージに立った方も多いと思います。
私たちもこの春に新入社員を2人迎え入れました。
会社に慣れることは、そこにいる人に慣れること。
まず人間関係がうまくいかないと仕事に支障がでてきてしまいます。
迎え入れる側も早く慣れてもらうために心配りが必要です。
一般に最近の若者は正解を求めすぎという傾向があるように感じます。
正解を当てる選択問題や失敗すると終了してしまうゲームに慣れ親しんできたからなのか、
失敗を恐れてしまう感があります。
実はビジネスの課題には唯一の正解はないのです。
いろいろと試行錯誤しながら失敗を経験し、その経験値をもとに失敗が少ないであろう選択
肢を選ぶ知恵が生まれてくるのです。
つまり、失敗の経験値が多い人ほど失敗はしなくなるということです。
当然、同じ失敗は絶対にしないという前提はつきますが・・・
だから失敗を恐れることはないのです。
失敗をしたら、なぜ失敗したのかを探るプロセスが重要になってきます。
おおいに失敗をして経験値を積み、成功への近道を歩んでいってほしいと思います。

靴の記念日

3月15日は靴の記念日です。
今から144年前の1870年(明治3)の3月15日、日本ではじめての靴工場が東京 築地
でオープンしたのを記念して制定されました。
その当時、外国から輸入した軍隊用の靴が大きすぎて日本人の足にあわず、大村益
次郎の命で千葉・佐倉藩出身の西村勝三が日本製の靴を作ることになりました。
はじめは香港の靴職人を雇い、伝習生として佐倉藩士が靴を作っておりました。
時代は正に「廃藩置県」が行なわれていた頃で、武士が断髪して何か職業を持たね
ばならぬ状況でした。
さまざまな紆余曲折がありましたが、西村勝三の作った日本最初の靴工場は発展し、
日本製靴株式会社となり現在のリーガルコーポレーションになりました。
初期の佐倉藩士伝習生である、大塚岩次郎は現在の大塚製靴の創始者であります。
日本の近代化の中で、軍靴製造として始まった日本の靴産業ですが、平和な時代の
ファッション業界の一翼を担える業界にまで発展致しました。
靴業界発展のために尽力された諸先輩の皆さんに敬意を払い、メイドインジャパンの
靴作りの品質をますます向上させていかねばと改めて思います。

理由なき繁盛店

出張先での楽しみのひとつに、地元の名店を探すというのがあります。
東京の都心部は有名チェーン店が軒をつらねており、一定のレベル以上のサービスと味
で競い合っています。
どこに入って食べても、ハズレなしという印象で悪くありません。
しかし、東京郊外となると事情が変わってきます。
駅前や商店街等では、チェーン店よりも昔ながらの地元の店が多いように思います。
訪れた店の中でも、昔からの味とサービスで地域の人に愛されているのだなと感じる店
も少なくありません。
しかし、たまになぜこの店が繁盛しているのか全くわからない店があります。
味もサービスもいまいちで、しかも値段が高い、それでもそこそこ賑わっている。
繁盛している理由を必死で自分なりに探しても一向にわかりません。
たどりついた仮説が「競合がない」ということでした。
ライバル店が出店するほどの立地でもなく、つぶれてしまうほどの過疎感もないという絶
妙のバランスで存続してきて、競合がないため改善する努力もしないという結果なのかな
と考えました。
そう思うと「このままで十分」と考える危機感のなさが一番危険であるように思います。
一昔前の小売業は安定した時代がありました。
ところが、スーパーやショッピングモールの台頭で競合にさらされます。
準備もなく、ノウハウもない店は淘汰の波にのみこまれます。
今後もその流れは変わらないでしょう。
お客様との関係性を大事にし、その地域で愛される、理由のある繁盛店をひとつひとつ丁
寧に作り上げていきたいと思っています。

決断のとき

右に行こうか、左に進もうか、人生の分かれ道で人は悩みます。
後から振り返って、あの決断は正しかったかどうかを論じるのは簡単ですが、決断しなけ
ればならない時に判断材料が乏しい時もよくあります。
しかし、今決断しないと事態は悪化していくのは明らか…。
そんな時、判断のよりどころとして、根本的に考える思いがあります。
その決断は「人のために、世の中のために役立つのか」ということです。
まことに平凡な考えですが、実行するのはけっこう難しいのです。
悩んでいるうちに思考が内向きになり、自分のためや自分の会社のためのみを考えてし
まい、周りのことに気が回らなくなってしまうのです。
2月10日に株式会社クレッセントは創立19周年をを迎えます。
その19年間で何千という決断をしてきました。
全てが正しかったかどうかはわかりません。
これからも何千という決断をしていくでしょう。
その際には「人のために、世の中のために役立つのか」という自問自答を何度も繰り返し、
一歩一歩前へ進んでいきたいと思います。

初心忘るべからず

新年あけましておめでとうございます。
2014年は日本にとって、皆さんにとって、どのような年になるのでしょう?
年があらたまると、世阿弥の「初心忘るべからず」という言葉を思い出します。
世阿弥は室町時代に能を大成させた人です。
実は、この言葉をまちがって解釈している人が多いように思います。
初心を純粋で情熱あふれる初めの心というような意味と思いがちですが、世阿弥の言う初
心とは「初心の芸がいかにつたないものであったか、その未熟さ、醜悪さを想い出して肝に
銘ぜよ」という意味なのです。
昔の自分はこんな失敗もした、うでもさっぱりで、なんとまずいことばかりやっていたのだろ
う・・・いろいろと、こうしたことを思い返しながら、現在の戒めとして事にあたる。
それは心をひきしめることで、いい気になったり、得意になったりする心を抑えることにつな
がると思います。
企業の歴史も同様です。
はじめの稚拙さやつたなさは想い出しても恥ずかしいです。そのような事を繰り返したくな
いから、思い起こし工夫をしてあらためる努力を続けるのです。
私は今年で50歳になります。
社長になって10年以上経ちます。
世阿弥の言う初心を忘れずに精進していきたいと思います。