先日、京都国立博物館で開催されている「狩野山楽・山雪展」に行ってきました。
「京都の狩野派は濃い。」というキャッチフレーズで宣伝されていたので興味がわいてい
ました。
京都国立博物館は絵の説明書き(キャプションというそうです)が面白いので、大変人気
があります。
それほど絵に興味がなくても、そのキャプションで説明している時代背景、人物描写、作
者の思い等を想像し、絵をぼんやりとながめているだけでその時代にタイムスリップした
ような気がします。
山楽・山雪の生きた時代は桃山から江戸への過渡期。
豊臣か徳川か、どちらを支持するかで後の人生が大きく変わる激動の時代でした。
元々、武士の子であった山楽は豊臣秀吉に見いだされ、当時の秀吉の絵師 狩野永徳に
入門しています。
その後、永徳と共に織田信長、豊臣秀吉に仕え、永徳の死後、狩野派を支える立場とな
っていきます。
しかし、秀吉の死後、徳川家の時代になると豊臣残党狩りの標的となり、命を狙われてし
まいます。
その時に公家の九条幸家と徳川二代将軍 秀忠の助命活動により、九死に一生を得たそ
うです。
時代を生き延びた狩野派は、永徳の直系筋の江戸狩野派と門人筋である山楽・山雪の
京狩野派に分かれ、それぞれが独自の画風を確立していきます。
江戸狩野派の墨の濃淡を使い分け詩情豊かな画風に対し、京狩野派は秀吉が愛した豪
壮華麗な画風です。
関東と関西の好みの違いは、この時期に確立されたのではないかと思います。