「老い」とは

先日、老いについての記事を読みました。

その記事によると「老い」とは「年を重ねること」だと思っている人が多いけれども少し視点を変えると違った印象になるということです。

例えば10歳の小学4年生が19歳になり大学に入学しても「老い」とは言わず、「成長した」と表現するでしょう。

20歳の学生が30歳になったら「経験を積んだ」と表現するでしょう。

それら2つの例はどちらも年を重ねているのに老いとは表現しません。

つまり「年を重ねること」イコール「老いる」ことではないのです。

生理学的には老化しても成長をし経験を積んでいる間は老いてはいないというのです。

私の周りの人でも高齢であっても、新しく出会うことにチャレンジし受け入れ工夫し乗り越える柔軟な心を持っている人がいます。

体は老化しても心はチャレンジし続ける姿勢を持つ人は「老いる」ことはないのだと思います。

サムエル・ウルマンの「青春」の一節が思い浮かびます。

「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたを言う。年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。」

電話運

商談中の相手の携帯が鳴る時があります。

チラッと見て「別にいいです」と言って、その人は商談に戻ります。

すると又かかってきて「どうぞ、電話に出て下さい」と言っても相手の方は「急がないので」と言って出ません。

これだけ掛けてくるのだから電話を掛けてくる相手は急いでいるのではと心配をしてしまいます。

世の中には不思議に電話を掛けてくるタイミングの悪い人がいます。商談中、電車の中、食事中などすぐに電話に出られない時にばかり掛けてくる人がいます。

もちろん相手も意図しているわけではないのでたまたまなのですが、こちらが一息ついて折り返し電話をするとタイミングが悪く相手が出られないこともあります。

それが2~3回も続くと気になってきます。やっとのことでつながると、大した用事ではなかったりします。

逆に一人で時間のある時に電話を掛けてくる人もいます。これもたまたまなのですが、不思議と同じ人だったりします。

時間と心に余裕があるので話がうまく進展することもあります。

人との出会いは運とタイミングです。電話運も大事にしていきたいと思っています。

 

人に会うよろこび

新型コロナの影響でリモートワークが盛んです。

得意先とのオンライン会議もだんだんとあたり前になってきて、会わなくても仕事が回っていくものなのかと思ってしまいます。

でも何か違う、何か物足りない感じがするのです。

オンラインで話すことと実際に話すことは何が違うのでしょう?

ある人類学者によると、人間は他者への信頼は視覚と聴覚だけではなく、嗅覚とか味覚とか触覚とかの感覚も使って築くものらしいのです。

又、京都大学総長の山極氏は人間というものを以下の様に分析しています。

人間の視覚と聴覚を使って他者と会話すると、脳で「つながった」と錯覚するのですが、それだけでは信頼関係はできないのです。なぜなら人は五感のすべてを使って他者を信頼するようになる生き物だからです。

そのとき鍵になるのが嗅覚や味覚、触覚といった本来「共有できない感覚」なのだそうで、他者の匂い、一緒に食べる食事の味、触れる肌の感覚、そうしたものが他者との信頼関係を築く上で重要なのだと言っています。

他者を信頼するという極めて人間的な行為が極めて動物的な感覚によってのみ築かれているのです。

オンラインでの物足りなさの正体はこれなのかも知れません。

信頼できる人と三密を気にせず共に食事をして笑い、語り合うそんな日常がとても恋しく感じます。

「人に会うよろこび」今しばらくは我慢しなければなりませんが、大切にしたい気持ちです。