グローバル化するデフレの先は・・・

先日、東京銀座に「フォーエバー21」がオープンして約1,000人もの人が
行列を作ったそうです。

これで銀座にはスペインの「ZARA」 スウェーデンの「H&M」という世界
のファストファッションの雄に新参の「フォーエバー21」が参入した構図に
なり、ユニクロを含めた戦いは興味深いものとなるでしょう。

特長はそれぞれ若干違いますが「フォーエバー21」のブランド名には、着
る人の誰もが21歳に見えるようにという願いが込められているそうです。
更に「フォーエバー21」の商品は概ね「made in U.S.A」という事が他社と
は違うところです。

しかし、多くのファストファッションが人件費の安い国に生産拠点をシフト
しているのが現状です。アジアでは中国からベトナム、バングラディシュ
へとシフトしています。

それらの国ではどのような変化が起きているのでしょう。

中間所得層の育った中国は今後、消費地として注目されるでしょう。

ベトナムやバングラディシュでは工場で働く人が増え、安定的な収入を
得るでしょう。その後は中間所得層が育ち、消費地の役割を担うでしょ
う。

そして工場はより安い人件費の国を求めて、そこで中間所得層を育成し
ていくことになるでしょう。

グローバル化するデフレの先に貧困の解消と富の普遍化があるのなら
未来は明るいのですが・・・。

長谷川等伯という人生

先日、京都国立博物館で開催されている「長谷川等伯展」に行ってきました。

長谷川等伯が登場した時代は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と権力者が次々と
変わっていく激動の時代でありました。その中で地方から出てきた絵師が才能と人
脈を使い、どんどん出世していく様は痛快なジャパニーズドリームであったと思いま
す。

当時は狩野派とよばれるスーパーエリート集団が牛耳っておりました。中でも等伯と
4歳年下の狩野永徳は、若い頃からそのずば抜けた才能とグループの力で天才の
名をほしいままにしておりました。

等伯は33歳の時に一大決心をして絵師として大成するために地元の能登から京都に
移住してきました。しかしその後17年間はどこでどのように修行していたのかは不明
とされています。そして51歳の時に千利休のすすめで大徳寺三門の壁画を描き、一
躍狩野派を脅かす存在になったのです。

その翌年、御所対屋の障壁画制作をめぐり狩野永徳一門と対立し、狩野派の政治力
の前に排除させられてしまいます。しかしその1ヶ月後、狩野永徳が急死するのです。
遅咲き等伯の時代がやってきます。

豊臣秀吉の命をうけて祥雲寺障壁画に着手、長男 久蔵とともにすばらしい障壁画を
完成させて、大絶賛を受けました。長谷川派の時代が到来したと誰もが思ったことで
しょう。

しかし翌年、長谷川派の次世代リーダーの長男 久蔵が急死してしまうのです。享年
26歳、あまりにも若い天才絵師の死でした。

長谷川等伯はたぐいまれなる才能を持ち合わせて順調に出世していく人生でありまし
たが、一方で妻や子供に先立たれるという悲哀に満ちた一面もありました。

「仏涅槃図」や国宝「松林図屏風」等は、元々信仰心の厚い等伯が先立った親族への
鎮魂歌ような想いで描いたのではないかと思います。

等伯の死後、長谷川派は表舞台には出てこないのですが、狩野永徳の再来といわれ
た狩野探幽や江戸中期の円山応挙が等伯の画風に影響を受けたと言われています。

等伯の活躍した時代は一瞬でありましたが、新しい技法にチャレンジする姿勢と造形
的特質はその後の絵画史に長く足跡を残したといえるでしょう。

ブランドブックが完成しました。

このたびブランドブックという冊子を作りました。これはサロンドグレー
というブランドがどのような考えで靴を作り、お客様にとってどのような
靴でありたいか、社会にとってどのような企業でありたいかをまとめた
ものです。

実は3年程前にもブランドブックを作りましたが、時代の変化に合わせ
て私たちもいろいろと変化してきましたので、このたびリニューアル版
を作ることにしました。

内容は企業メッセージ、私のインタビュー記事(緊張しました・・・)、製造
工程、お客様のインタビュー記事、環境・社会への取り組み、直営店の
ご案内です。

作っていく過程の中で、漠然とした思いが確固たる思いになっていきま
した。

それは日々思っていることを言うだけでなく、印刷物にして配るというこ
との責任の重大さを身にしみたからであると思います。

私たちの思いがうまく伝わってくれれば、これほどうれしいことはありま
せん。

もし、興味があればこのホームページのお問い合わせより御請求くださ
い。又、感想等も書いていただければうれしく思います。

成熟社会へ

日本の消費力が落ちて百貨店を中心とした小売業の不振が騒がれている中、意
外なニュースを目にしました。

英国の美術専門誌「アート・ニューズペーパー」4月号が2009年に開かれた展覧
会の入場者数の順位を載せ、1日あたりの入場者数で日本がトップ4を占めたと
いうのです。

その内訳は、第1位 東京国立博物館「国宝 阿修羅展」(1日平均 15,960人)、第2
位 奈良国立博物館「正倉院展」(同 14,965人)、第3位 東京国立博物館「皇室の
名宝展」(同 9,473人)、第4位 国立西洋美術館「ルーブル美術館展」(同 9,267人)
です。

このニュースのすごいところは、パリ、ニューヨーク、ロンドン等の名だたる美術館
を押しのけて日本がトップ4を独占したというところです。そして前述の同誌は「日
本人の展覧会愛好熱は不況知らず」と書いてあります。

私も先月に京都国立博物館で開かれていた「ハプスブルグ展」に行って来ましたが、
すごい人で入場するまで90分待ちました。来ている人たちも若いカップルからお年
寄りまで様々で、肩をはらずに鑑賞している様子は文化的なものが自然と人々の
生活の一部になっていると感じました。

日本社会は確実に「モノ」から「コト」へと価値観が変化し、成熟した社会へと変貌
を遂げようとしているような気がします。

もうすぐ東京で約29万人の入場者を記録した「長谷川等伯展」が京都国立博物館
にやってきます。

作品も興味深いですが、無名の絵師から千利休に見いだされ、当時全盛を極めて
いた狩野永徳率いるスーパー絵師グループ「狩野派」の最大のライバルにのぼりつ
めていく長谷川等伯の人生は、日本史の教科書ではわからない深みがあるのでは
ないかと思っています。

会期が4月10日から5月9日までと短いので混雑覚悟で行ってきたいと思います。

香港レザーフェア

先日、香港のレザーフェアに行ってきました。毎年3月下旬に開かれる香港
のレザーフェアには世界各国からの出展があり、世界のレザーの状況がよく
わかります。

皮革の世界でも中国の勢いはすさまじく、出展ブースの数では一番多かった
と思います。次いでパキスタン、イタリア、インド、ブラジル、トルコといった国
が目立っておりました。

私は日本から来た靴メーカーだと言うと、ほとんど人の反応は以下の様でした。

「昔、日本はたくさん皮革を買っていたけど、今はさっぱりだね。ところであな
たの工場はどこにあるのか?中国かね?」

彼らにとっては日本で靴を作っている事は想像もしていない事なのかも知れ
ません。

香港で売られている靴に目を向けると高級品はイタリア製、中級品はスペイ
ン製、廉価品は中国製かブラジル製でした。香港のお金持ちも最近は中国
本土からの流入組が多く、購買力においても中国の力はすごいと感じざるを
得ませんでした。
 
世界は中国を中心に回り出していると実感いたしました。

しかし、考えてみると中国人の足は日本人とよく似ているのでヨーロッパの木
型よりも日本の木型の方が合っているような気がします。しかも電気製品や食
品は日本製が好まれると聞きます。日本製の靴も中国の人に喜ばれそうな気
がします。実際に私たちの直営店には中国の人がよく買っていきます。

いつかは中国をはじめとしたアジアの人にサロンドグレーの靴をはいてもらい
たいです。