こだわりはござるか?

わたしたちは、毎年シーズンごとにバイヤー様向けの展示会を全国で開催致します。

靴の場合は、春物と秋物の新作発表が多いので、春物新作展と秋物新作展には多数
のお客様がお見えになります。

今回は、4月20日より5月27日まで東京を皮切りに福岡、札幌、再び東京、そして大阪と
5回の展示会を開催致しました。

ゴールドファイルの紳士靴が初登場しましたので、テーマは「夫婦でサロンドグレー」とし
ました。ご主人様にもサロンドグレーのはきごこちを実感してもらいたいという思いでつけ
ました。

おかげ様で全国各地で多数のお客様がご来場下さり、展示会は大変盛況なものとなり
ました。

1ヶ月以上にわたる展示会期間の最終日(5月27日)に思いもかけない出来事が起こり
ました。

その日も多数のお客様がお越し下さり、工場内の製造工程など見学される方も多かった
です。

東京からはじめて大阪に来ていただいたお客様との商談の席で「商品のどのようなとこ
ろにこだわりはございますか?」と言おうとしたところ、「商品のどのようなところにこだわ
りはござるか?」と言ってしまったのです。

一瞬の間のあと、大爆笑でした。

少し固かった商談の雰囲気が一気になごみました。

「いつの時代の人やねん!」と自分自身でつっこみながらも、とても恥ずかしかったです。

そんなこんなで笑いのうちに終わった展示会でいただいた秋物受注分は、9月には店頭
に並びますので楽しみにして下さい。

MITSUKO

先日、MITSUKOという安蘭けいさん主演のミュージカルのプレビュー公演に行って
きました。

プレビュー公演とは、公演初日以前にお客さんを入れて本番と同じように演じ、最終
チェックをするというもので途中で演出家が止めて指導をすることもあるようです。

そのため料金は通常公演より安く設定されています。

ミツコはヨーロッパで最も有名な日本人であるといわれています。

時代は文明開化真っ只中の明治時代、日本に赴任してきたオーストリアハンガリー
帝国の外交官ハインリッヒ伯爵に見初められたミツコは結婚しヨーロッパへ渡ります。

ミツコは伯爵夫人として、ヨーロッパ社交界にデビューします。

しかし、ハインリッヒ伯爵が急死してしまいます。ミツコは異国での孤独感と闘いなが
ら、7人の子供にすばらしい教育を受けさせて立派に育て上げていきます。

当時のヨーロッパは第一次世界大戦がおこりオーストリア帝国が崩壊し、ナチスドイツ
が勢力を伸ばすなど激動の時代でありました。

その時代を勇気ある情熱で自立した生き方を貫いた「黒い瞳の伯爵夫人」ミツコにヨー
ロッパの人たちは感銘をうけたのでしょう。

世界的に有名な香水、ゲラン社の「ミツコ」はそこから命名されたといわれています。

又、ミツコの次男 リヒアルト伯爵はEUの概念を作った「欧州連合の父」として有名で
映画「カサブランカ」のモデルにもなりました。

しかしながら、ミツコの晩年は子供達が寄りつかず、さびしいものであったようです。

ミツコが親の反対を押し切って単身欧州へ渡り、自立した生き方を目指したため、子
供達もそれぞれ自立して親元をはなれていってしまったようです。

「因果応報だね・・・」とつぶやくミツコはとてもさびしそうでした。

衣替え

先日、衣替えをしました。もう寒くなることはないだろうと思い、実行しました。

最近は季節の変わり目が例年通りでなく、暑くなったり、寒くなったりと天候不順に悩ま
されている人が多いと思います。

いつも衣替えの時に「今年も出番のなかった服」を発見します。

今年こそ着るぞと思っていた服なのに、今年も出番なくしまいこみます。

実際のところは、今年こそ着るぞと思ったのは衣替えの時だけで、その後は存在さえも
忘れてしまっていることが多いのが現状です。

そして衣替えの時にその存在を思い出し、少し後悔するのです。

冷静に考えると、その存在さえも忘れてしまっているものは捨てるべきであり、場所の
無駄であります。

衣替えのたびに捨てるものもあるのですが、いつもその関門を通りぬけてタンスのこや
しという定位置に収納されていく服があります。

なぜ捨てないのか自分でもわからないのですが、多分理由は「思い出」や「なつかしさ」
という感情の部分と「まだ着れる」というもったいない気持ちがあるように感じます。

今回も今年こそ着るぞと思っている夏用の服があるのですが、忘れないように一番わか
りやすい場所に置きました。

それでも着なかった服は潔く捨てようと決意しながら・・・。

復興の源

「私なんか、まだましなほうです・・・。」

東日本大震災で被災された知人の方にお見舞の言葉を申し上げると、必ずといって
いいほど上記の言葉が返ってきます。

被災地の近くに住んでいる方々は、もっとつらい経験をされている人たちを身近に感じ
ているため、このような心情になってしまうのでしょう。

他人を思いやる日本人の良さの表れだと思います。

原発事故はまだまだ予断を許さない状況ですが、事故当初の様子が次第に明るみに
なってきています。

事態がますます深刻になっていく時期に命の危険があるにもかかわらず、まさに決死
の覚悟で注水活動をされた自衛隊、消防、警察の方々は本当に立派であったと思い
ます。

御家族の方も相当な覚悟であったろうと想像されます。

当時、石原慎太郎知事が出動したハイパーレスキュー隊をねぎらった時に流した涙は、
相当危機的な状況であったことを表していると思います。

「人の役に立ちたい。」

ある自衛隊の下士官は決意の理由をこう述べています。

このような日本人の心情こそが、復興の源であると強く確信しています。