長生きするには・・・

人の性格は物事を前向きに考えるポジティブ思考と悲観的に考えるネガティブ思考に分かれます。

このような性格的思考と寿命の関係性について、スタンフォード大学のターマン教授が研究しました。

10歳前後の子供たち約1600人を対象に追跡調査をしたのです。

そのうち3分の2が70歳以上生き、さらに24人は90歳を超えて生きていました。

研究開始時よりターマン教授は全ての子供たちの性格を調べていました。陽気で楽観的、学校の人気者、真面目、神経質、ルールを守るなどです。

そしてターマン教授死後、遺志を継いだフリードマン教授は子供たちの性格と寿命の関係を分析すると、常識を覆す研究結果が出たのです。

意外なことに、楽観的で社交的な人ほど早死にしていました。

過度に楽観的でポジティブな人ほど日常生活のあらゆる場面で「まあ、大丈夫だろう」と慎重さに欠ける判断をし、結果的に不健康な生活習慣を送ったり、交通事故などで亡くなっていたのです。

また、小さい頃から学校の人気者で社交的な人ほど、付き合いなどからアルコールやタバコに手を出し、早死にしていました。

一方、いちばん長生きしていたのは、真面目で粘り強い性格の人たちです。

彼らは人生でつらいことや問題にぶつかっても決して逃げることなく、粘り強く受け止めていました。

長生きするには過度に「ポジティブ!」と思考するのではなく、つらいときはそのつらさをかみしめ、真面目に生きていくことがいいようです。

年齢を3で割ると

新聞の人生相談のコーナーで21歳の女性が結婚、出産、仕事等、将来のことを漠然と思い悩んでいました。

回答者は高橋源一郎さん。人生の達人です。

その回答の中で年齢を3で割ると、それはその人が人生の何時にいるかを示す数字であると言っていました。

21歳の女性は午前7時。一日が始まったばかりです。

起きたばかりなのに一日の予定のことばかり心配していても仕方がない。そんなことは太陽がもっと高く上ってからでいいのではないかと回答していました。

人生のある時点を一日の何時かに置き換えるのはおもしろい視点です。

36歳で正午。一日の折り返し地点。

45歳で午後3時。一生懸命に働いています。

60歳で午後8時。一日の疲れを癒す頃です。

ちなみに私は午後6時20分。夜が始まったばかりでまだまだ楽しみがありそうです。

しかし、これから寿命がどんどん延びていくと、3ではなく4で割らなければならなくなりそうです。

ミレニアル世代

日本には世代を表す言葉がいろいろあります。

1947年~1949年生まれを指す「団塊」

1950年~1964年生まれの「新人類」

1965年~1969年生まれの「バブル世代」

1970年~1984年生まれの「ロストジェネレーション」

それぞれの生まれ育った環境により経験や考え方が特長的であったりします。

1989年~1995年生まれは「ミレニアル世代」と言われ、ゆとり教育を受けた「ゆとり世代」と重なっています。

「ミレニアル世代」はSNSで情報を収集し、旅行に積極的であります。好景気を知らないので現状に不満が少ないとも言われています。

実際、若者の「幸福度」は統計上でも高まっています。

内閣府の調査では、18歳~29歳で「生活に不満がある」と答えた人は2016年以降、3年連続で20%を下回っています。

その要因とみられるのが就職環境の改善です。

就職氷河期が終わり、就職はしやすくなり初任給も上昇しています。

ぜいたくをしなければ、安定した生活が送れる世の中であると認識している世代です。

今回の参議院選挙で「ミレニアル世代」がどのような投票行動に出るのか注目です。

レンタル なんもしない人

テレビや書籍で「レンタル なんもしない人」が話題です。

「一人で入りにくい店、ゲームの人数合わせ、花見の場所取りなど、ただ一人分の存在だけが必要なシーンでご利用下さい。ごく簡単な受け答え以外なんもしません。」とツイッターで告知。

料金は交通費など実費だけで、基本は無料です。依頼者が自らの意思で報酬を出すのはかまいません。

サービス開始直後は行列並び要員などの実用的な依頼が多かったらしいのですが、時間がたつにつれ想像もしなかった不思議な依頼が増えてきているそうです。

「転勤するが、新幹線のホームで手を振ってほしい」

ホームでの別れは友人だとしんみりし過ぎてしまうので、関わりの薄い人がいいらしいのです。

又、実際に人に言えないことを話したいとの依頼もあるそうです。

深い悩みほど家族や友人に話せないケースもあり、AIではなく生身の人間で関わりの薄い人に聞いてもらいたいのです。

「なんもしない」ので悩みの解決や助言はしませんが、一人で抱えるにはつらく、話を聞いてもらうことで気が楽になるのです。

そばに誰かいるだけで、救われる気持ちになるのはよくわかります。