平均年齢でみる各国の諸事情

2010年の国勢調査速報によると総人口に占める65歳以上の人口の割合は23%で、
2005年の前回調査に引き続き世界最高でした。

15歳未満の人口の割合は13%であるので、日本は世界に類をみない高齢化社会で
あると言えます。

国別の平均年齢でみると日本47歳、ドイツ44歳、アメリカ36歳、中国35歳、ベトナム
27歳、インド26歳です。

医療の進歩により寿命は伸びていますが、国によって状況は違います。

アメリカは移民を受け入れているので平均年齢はあまり変わりません。

中国は一人っ子政策をとっているので今後急速に平均年齢が上がり、超高齢化社会
に突入すると言われています。

インドは人口抑制政策をとっていないので平均年齢は下がり続け、総人口でも中国を
抜くと言われています。

上記の例をとってみても様々な問題を含んでいるのがわかります。

移民政策には治安維持、一人っ子政策は労働力不足、人口増加は食糧問題がつき
ものです。

それら全ての問題を一気に解決することはできませんが、世界は今後、限られたエネ
ルギー、労働力、食料等を奪い合うことになるのではないかと思います。

そうなる前に日本はより一層の省エネ国家を目指し、あらゆる事態に備えなければな
らないと思います。

雨が降ることもあります

大阪は梅雨のシーズン中ですが、雨が降らなくてむし暑い日が多いです。

それもまだ6月なのに真夏並みの30度越えの日が何日も続き、この暑さがこれから本格
的に始まるのかと思うとうんざりとした気分になります。

天気予報もこの季節は大気の状態が不安定なせいか、難しいのではないかと思うことが
ありました。

先日、ふと見た某TV局の天気予報での事です。

「大阪の明日はくもり、雨が降ることもあります。」

「兵庫県南部もくもり、雨が降ることもあります。」

「雨が降ることもあります」とはどうゆうことですかと、思わずテレビにつっこみそうになりま
した。

雨が降るのか降らないのか、せめて降水確率は何%なのかを視聴者は知りたいのに「降
ることもあります」ではどっちにもとれるので天気予報と言えるのでしょうか。

昔は、明日は午後から雨が降りますので傘を持ってお出掛け下さいといった予報が主流
で、当たらなくても翌日に昨日は当たらなくてすみませんでしたといった「いさぎよい態度」
で予報をしていたような気がします。

真相はわかりませんが、当たらなかった時に視聴者からクレームがきて、はっきりとした
予報はやめようという流れになってしまったとしたら非常に残念です。

このような時代だからこそあえてリスクをとり、予報士が断言調で予報を出せば人気がで
るのではないかと思います。

「明日、雨が降るかは、はっきり言ってわかりません!」

多分、大阪中の人がつっこんでいるでしょう。

復興の源

「私なんか、まだましなほうです・・・。」

東日本大震災で被災された知人の方にお見舞の言葉を申し上げると、必ずといって
いいほど上記の言葉が返ってきます。

被災地の近くに住んでいる方々は、もっとつらい経験をされている人たちを身近に感じ
ているため、このような心情になってしまうのでしょう。

他人を思いやる日本人の良さの表れだと思います。

原発事故はまだまだ予断を許さない状況ですが、事故当初の様子が次第に明るみに
なってきています。

事態がますます深刻になっていく時期に命の危険があるにもかかわらず、まさに決死
の覚悟で注水活動をされた自衛隊、消防、警察の方々は本当に立派であったと思い
ます。

御家族の方も相当な覚悟であったろうと想像されます。

当時、石原慎太郎知事が出動したハイパーレスキュー隊をねぎらった時に流した涙は、
相当危機的な状況であったことを表していると思います。

「人の役に立ちたい。」

ある自衛隊の下士官は決意の理由をこう述べています。

このような日本人の心情こそが、復興の源であると強く確信しています。

10年後の評価

英国のBBC放送が33ヶ国の約4万人を対象に「世界に良い影響を与えている国」と
して調査した結果、最上位の評価を得たのが日本でした。

ただ単に「影響を与えている国」ならば米国やロシア、中国等の大国が選ばれたでし
ょう。

日本人の「和」の精神性が高く評価され、高度な技術と豊かな文化が世界に良い影
響を与えていると言えそうです。

今、日本は戦後最大の国難に直面しています。

2011年3月11日は日本の歴史の中でも大きな転換点になるのではないかと思いま
す。10年後の評価が下記の様になるようにがんばりたいと思います。

「あの未曾有の大地震から10年、日本は奇跡的な復興を遂げた。津波で大きな被害
を受けた海沿いの町もきれいに整備され、住宅や公園に子供たちの笑顔があふれて
いる。福島第一原発も早期に事態を収拾し、被害を最小限におさえられたことは世界
が驚いている。その奇跡的な復興を成し得た一番の要因は、日本人の精神性の高さ
であると言われている。どんな時でも冷静で忍耐強く、他者を思いやり、困った時はお
互い様の精神で助け合う日本人の精神性が復興の最大の原因であるのは間違いな
い。又、大震災を契機に国民全体が節電に努め、世界に誇る省エネ国家となった。こ
の10年で日本がどのように復興して、安全・安心の国を創っていったかを世界の国々
が研究し始めている。」

復旧、復興へ

未曽有の地震災害から1週間が経過致しました。

福島第一原発は自衛隊、消防、警察等のまさに命がけの作業により事態の悪化を防
いでいます。又、外部電源を受電したことも明らかになり一歩、一歩事態の収拾に向か
っていることを実感致します。

しかしながら、まだまだ予断を許さない状況は続いており、越えなければならないハー
ドルは幾重にもあります。そのような困難な状況に立ち向かって作業をされている現場
の人たちに心から敬意を表します。

徐々に日常の生活がもどりつつあると感じるのはテレビ番組ではないでしょうか?

震災当初は報道特番ばかりであったのが、少しづつ普段の番組が増えつつあります。
しかしCMはなかなかもどらないようです。

その中で注目を集めているのはACのCMです。

仁科亜季子さんが38歳で子宮頸がんになったこと、赤星選手が毎年車椅子を送ってい
ることは日本中の人が知ることになりました。

特筆すべきは「あいさつの魔法」ではないでしょうか?「たのしいなかまがポポポポーン」
というフレーズは1日に何回も聞かされます。

出演しているキャラが不思議で私は「おはようなぎ」が気になります。街一番の早起きで
職業はマジシャンだそうです。よく見ると手品で花を出しています。

その他にも詳しくキャラ設定がされているらしく、興味のある方は調べてみて下さい。

言葉を失う

人は想像をはるかに超える場面に遭遇すると言葉を失ってしまうということを実感した
気がします。

2011年3月11日 東北地方を襲った巨大地震は大津波をひきおこし、各地で甚大なる
被害をもたらしました。

被害状況が刻々と明らかになっていくにつれ、あまりの被害の大きさに言葉を失って
ただただ茫然自失の状態になった人も多いと思います。

津波の映像はSF映画かどこか遠くの外国で起こった事であるかのように現実離れし
ていました。

しかし、それが日本で今起こっている事なのです。

電気、ガス、水道、電話等のライフラインが常にあり、普通に生活を営むことがとても
幸せなことであると多くの人が思ったことでしょう。

最近の日本は大相撲の八百長問題、足の引っぱりあいのような政局など混迷度が増
しておりました。助け合いの精神も以前とくらべて少なくなってきたような気がしており
ました。

人が人として生きる上で何が大事なのかを再度問われているような気がします。

被害に遭われた多くの方々にお見舞いを申し上げるとともに1日も早い復興をお祈り
致します。

カウンター1番さんのゆううつ

先日、出張先で昼食を食べた時のことです。

おいしそうなお寿司屋さんがリーズナブルな値段でランチを提供していたので、そこにしま
した。

店内は混雑していましたが、遅めのランチであったのでほとんどのお客さんが食べ終えよ
うとしていました。

カウンターの一番はしに案内され目の前で腕のよさそうなすし職人が黙々とすしを握って
いました。

無駄のない動きと流れるような手さばきは、思わず見とれてしまうほどでした。

「まったく何をやっているんだ・・・」

一瞬、耳を疑いましたがそのすし職人がボヤいていました。聞こえているのは前にいる私
だけでした。すし職人は要領の悪い店の店員に怒っているようでした。

「テーブル2番さん、すし定二丁です」店員がカウンター内に向かってオーダーを言いました。

「何を言っているんだかわからねえよ・・・」目の前のすし職人はブツブツ言っています。

その店員に怒っているのがすぐにわかりました。

ほどなくして私のすしが出来上がり、目の前のすし職人が私に手渡してくれました。

「カウンター1番さん(私のことです)すし上がったのでお吸物お願い」とすし職人は店員に
言いました。

「今やってます」とその店員が奥で答えました。

「今やってますじゃねぇだろ。早くしないと食べ終っちゃうぞ」少し語気を強めて店内に響きわ
たるように言いました。気まずい空気が私の周りにただよいました。

すし職人の怒りがピークにならないように、できるだけゆっくりと食べました。

3分の1ぐらい食べたところでお吸物が来ました。

店員は私に「お待たせして申し訳ありません」と言ったあとにすし職人に向かって言いました。

「すみませんでした・・・」

「・・・・」すし職人は無視しました。

気まずさはMAXになりました。

その後、食べるスピードを上げそそくさと店を後にしました。

客の入り具合、店のたたずまい、すし職人の仕事ぶりをみると名店であるのは間違いなさそ
うです。しかし、その店に欠けていたのはお客様に快適に過ごしてもらうための心配りではな
いかと思うのです。

おいしいものを提供すればそれでいいのではなく、そこに付随するサービスが重要だと思いま
す。

私たちも商品の品質だけではなく接客サービス、アフターフォローまで含めたトータルな顧客
満足が大切であると痛感したカウンター1番の席でした。

幸せの感じ方

2011年は景気が回復してほしいと日本中が思っていると思います。

しかし、景気が回復することによって全ての問題が解決するものではありません。

景気がよかったといわれるバブル経済の頃もいろいろな問題を抱えていました。

不動産価格が高騰したので都会に持ち家をもつことはほとんど不可能であったし、家賃
や月極駐車場代も今とはくらべものにならない位高かったです。

仕事が忙しかったので残業も多く、日本中がよく働いていたと思います。

日本人の持ち家比率と年間総労働時間という2つのデータだけをとるとバブルの頃より
も今の方がずい分いいのです。

つまり、今はバブルの頃よりもマイホームを持った人が多く、労働する時間もかなり少な
くなってきています。

普通だとそれだけで幸せになったと思う人が多いはずなのに、幸せになったと思ってい
る人が少ないのはなぜでしょう。

主観的幸せとは何をもって決定するのでしょう?

ある心理学者は人生の目標を外的条件(経済的成功、名声、美貌)として努力する人と、
内的な事柄(他者とのかかわりを満足なものとし、世の中を良くすることと自己成長する
こと)に価値を置く人に分かれるとしています。

そして前者は後者にくらべて喜びを味わうことが少なく、体の不調が多いと発表していま
す。

人の感じる幸せは様々です。

長い歴史の中でも不遇の時代に生まれた人で幸せな人生を送った人もたくさんいます。
又、その逆もしかりでしょう。

どんな時代になっても幸せを感じる感性を研ぎ澄まさせて生きたいと思っています。

社会に出よう

今春卒業予定の大学生の就職内定率が68.8%と過去最低となっています。

大学を卒業しても就職ができない人がかなり増えています。

就職が決まらないので大学院に進学したり、他の専門学校に入学したりする学生もい
ると聞きます。就職活動に失敗したので次の年の就活にかけるという就職浪人です。

しかしその一方で、3割の若者が3年以内に会社を辞めるというデータもあります。イメ
ージしていた仕事と違うというのが主な原因だそうです。

イメージ通りの仕事に従事している人はどのくらいいるでしょう?

それほど多くないと思います。

社会に出ると学生時代とは違う世界が広がっています。一つの商品をとってみてもそれ
を作るメーカー、原材料を扱う業者、工程別に加工する会社、販売する人、輸送する人、
保管する倉庫会社、機械をメンテナンスする人等、学生時代には想像もしなかったよう
な多種多様な会社があり、それらに従事している人たちがいるのです。

まず社会に出て自分の視野を広げ、本当に自分がやりたい仕事が何か、どのような仕
事に向いているのかを探す視点が今後の長い人生の中で大事なのではないかと思い
ます。

ある意味で社会に出てからの方が学生時代の就活とは違う、より現実的な就活ができ
るのではないでしょうか。

だから、まず勇気をもって社会に出るとびらを開けてもらいたいと思ってます。

私たちの会社も熱意とヤル気のある人には常に門戸を開けています。

年の瀬に思うこと

今年の8月に公私とも大変お世話になった方が約1年間の闘病生活の末、この世を去
りました。

故人はビジネスの分野で大変有能なセンスの持ち主で、いろいろな局面において相談
した時に的確なアドバイスをしてくれていました。

何度も勇気と智恵をもらったことに感謝しています。

そして最後の1年間で私自身が学んだことは「人はやがて死を迎える」ということです。

だからこそ人は、生きているうちに悔いのないように精一杯努力しなければならないと
いう、ある意味あたり前のことを身をもって体得したような気がします。

死について考えるということは、生きるということを考えることだと思います。

先日、1000人の死を見届けた終末期医療の専門家が書いた「死ぬときに後悔すること
25」(致知出版社)を読みました。

この著書の中には、死ぬ間際にどのような後悔が多いのかが書いてあります。

例えば「故郷に帰らなかったこと」「会いたい人に会っておかなかったこと」「他人に優しく
しなかったこと」等、生きている時に意志さえあればできている事も多いのです。

この著者の言わんとすることは、死はいつおとずれるかわからないもので「後悔がないよ
うに」と普段から考え、自分にとっての後悔するかもしれないことに一生懸命はげんでみ
てはどうかということです。

年の瀬を迎えるにあたって、生かされているこの一分一秒を大切にしてがんばっていきた
いと思っています。

皆さん、よいお年をお迎え下さい。