天野教授という生き方

先日、天皇陛下の心臓バイパス手術があり、無事成功し国民全体がホッと致しました。

天皇陛下の手術に当たったのは、東大と順天堂大の合同医療チームで日本の最高レ
ベルのメンバーです。

執刀の中心的役割をはたしたのが、順天堂大学の天野教授です。

そもそも天皇陛下の健康を管理してきた東大チームに、外部の順天堂大の天野教授が
加わるという異例の体制が敷かれました。

この天野教授の経歴がすごいのです。

進路を悩んで3浪の末に日大医学部へ入学、父親が心臓弁膜症の手術を受けたことを
機に、心臓外科医を志します。

大学病院内でのエリートコースを歩まずに、心臓バイパス手術の多い民間の病院でひ
たすら手術の腕を磨いていったそうです。

その実績たるや4,000件以上にものぼるそうです。

周りの評判もすこぶるよく、熱心で責任感が強く、部下の面倒見もよいとのこと。

心臓外科医の世界は強烈な個性の持ち主が多く、自分が一番と思っている人が多い
そうですが、その誰もが天野教授の実力だけは認めているそうです。

そしてこのたび、天皇陛下の手術にあたり、腕もプライドも最高の東大病院に招かれて
異例の合同チーム編成ということになりました。

学閥やエリート意識の強い医学界では通常ありえない事だと思います。

腕一本でここまでの地位を極めた天野教授もすごいですが、それを受け入れた東大病
院も拍手喝采です。

「チームバチスタの栄光」や「医龍」の演技指導や監修を務めたことがある天野教授。

ご自身の人生こそ、すばらしいドラマになると思います。

生まれ変わるとしたら日本人になりたい?

ある新聞が上記の質問を10代から60歳以上の各世代に聞いてみたそうです。

その結果、10代では「ぜひなりたい」が57%、20歳代は40%、30~50歳代はいずれも
30%台で若い世代ほど日本に愛着があるという結果になりました。

今後の生活の見通しについても若い世代の方が「良くなっていく」と答えた人が多く、又、
日本の経済成長についても40歳代以上に比べて、若い人の方が楽観的な見通しの人
が多かったようです。

今年の成人式についてのコメントにしても、古い世代の人が「今の若い人は大変だ」と思
っている人が多いのに対し、当の若い人たちは大変だとは思っていない様子がうかがわ
れます。

このことはどう見るべきでしょう?

現実を知らない楽観なのか、世代間の価値観の相違なのか、判断に迷います。

おそらく両方あたっているのでしょう。

ひもとくヒントは今の若者がC世代と呼ばれていることです。

貢献(Contribute)で社会にかかわりを持つことに価値を見いだしています。

私を含めた古い世代が消費することで社会につながりを持った価値とは大きく違います。

C世代が社会の中心になった時、日本は今より良くなっていると確信しています。

テクノロジーは雇用を破壊しているのか

この20年の時代の流れはすごいと思います。

1980年代にヒットしていたカルロス・トシキという日系ブラジル人歌手が、久しぶりに日
本に来て驚いたことが、もう日本人は電車の切符を買わないのですねということでした。

確かに今は、ほとんどの人がICカードで自動改札を通過しています。

私達はもう慣れ親しんだ光景であるのですが、久しぶりに来た人には驚くべき光景か
もしれません。

ICカードの登場で、小銭を用意して切符を買う必要がないので手間が省けました。しか
し、検札する駅員や大量の切符を発行する業務に携わっていた人の雇用は要らなくな
りました。

又、デジタルカメラの登場で、写真現像に携わっていた多くの雇用は激減しています。

テクノロジーが進化すればするぼど生活は便利になるでしょう。しかしその反面、ある
分野の雇用はどんどん減っているのも事実です。なぜなら、人がやっていることを機械
がより正確に効率的にこなしてしまうからです。

文明は人類を重労働から解放してきました。

過酷な農作業は牛や馬を経て、近代的な農機具にとってかわっています。

暖をとる薪集めや生活に必要な水くみも、先進国では必要なくなっています。

あらゆる産業の中で以前まで必要であった「人手」がいらなくなってきている状況が世
界的規模で起きているのではないかと思います。

雇用は人の営みを支え、消費に回っていきます。雇用が経済を支えているといっても
過言ではないでしょう。

テクノロジーのますますの進化が、普通の人の職を奪いとってしまうのではないかと心
配しています。

飢餓感

「今の若者は・・・」という世代間ギャップの話題はどの時代でも論議されてきたと思い
ます。

私の若い頃は「新人類」という言葉がはやり、その当時のオジサンたちは私達を全く
価値観の違う人種であるかのように分類していました。

その新人類とカテゴライズされた私達が今の若者はうんぬんというのはおかしな話だ
と思うのですが、育ってきた時代を冷静にみつめながら分析してみたいと思います。

今の若者の育ってきた環境は、それなりに充足している環境であったと思います。

よほどのぜいたくを望まなければ、それほどお金をかけなくても相応の快適な暮らしが
できる時代です。

おまけに学校では競争のない平和で仲の良い関係が保たれ、突出して何かをするこ
とがしにくい状況であったと思います。

だから好奇心というものが弱体化して車や異性、海外旅行という昔の若者の好奇の対
象に何ら興味を示さなくなってしまったのではないでしょうか?

何かを外部に求めること、探すこと、出会うことは好奇心から生まれてきます。しかしそ
こには傷つくこと、失望することも高い確率で発生します。

それは面倒くさいことなのでしょう。

何かを得たい、知りたいという欲求が高まらなければ行動を起こす意味すらもわからな
いでしょう。

しかしながら、今の若者のいいところもいっぱいあります。

環境保護に対して関心は高いし、暴力、差別、ケンカを嫌悪しボランティア精神も旺盛
な人が多いです。

でもそれだけでいいのかなと思うのです。

充足している環境は、動物園の中の猛獣のように飢餓感のない野生を忘れた生命体
を生みだしていきます。

飢餓感のなさを草食系といううまい言葉で表現しています。

「せっかく人間に生まれてきたのにもったいない」と妖怪人間に言われそうです。

上から目線

最近よく「上から目線」という言葉を耳にします。

本来は対等の関係であるのに、優位的な立場での言動を「上から目線」というわかりや
すい言葉で表しているのだと思います。

しかし、若い人の中で明らかに間違っている価値観の中で使っているケースがあるよう
です。

例えば、上司が部下に対してアドバイスを与えた時に上から目線で言われたと思う人が
いるようです。

その時の関係性においては明らかに上下関係があり、上からの指導は当然であるにも
かかわらずです。

これはどういった構造なのでしょうか?

私が推測するに、一つの原因は人間関係の未熟さでないかと思います。

社会に出るまでに特に強い上下関係のある人間に深くかかわらずに、同世代の同じよう
な価値観をもった人間とのみつき合っていると、上下関係のある人間関係に慣れることは
ありません。

そのような若者が少しきつく指導されると「上から目線」と過剰に反応してしまうのではな
いでしょうか?

私の若い時は一歳違いでも先輩、後輩の差は歴然で、近所や親戚の口うるさい年長者
たちがたくさんいて、その中で自然と上下関係のある人間関係が形成されていったよう
な気がします。

若者側からの反論として、仕事上の知識や経験又は、人間的な器において優れている
ものはないのに、ただ立場や年齢が上というだけで一方的に決めつける言動が問題で
あるという指摘もあるようです。

上司や年長者も厳しい時代ですが、有益なアドバイスをうまく伝えるためにも伝える工夫
が必要ではないかと思います。

ボケとツッコミの大阪マラソン

10月の最後の日曜日である30日に大阪マラソンが開催されました。

当日はあいにくの雨もようでしたが、3万人のランナーと沿道を埋めつくした観客で大い
に盛り上がりました。

市民参加型マラソンなので自分の家族、友人、知人がランナーで走っているというケー
スが多く、観客たちも声援に力が入ります。

私も沿道で声援を送っていたのですが、特におもしろいのは仮装ランナーと観客との掛
け合いでしょう。

ミッキーマウスのかぶり物のランナーやくいだおれ人形の仮装に対して、沿道の観客が
声援を送ります。

「ミッキー!ガンバレ!」

「太郎!(くいだおれ人形の名前)負けるな!」

次に走ってきたドラえもんとスーパーマリオに対しては

「ドラえもん!タケコプターや!」

「マリオ!そこでジャンプや!」

周りの観客がドッと笑います。

大阪のすごいところは、仮装ランナーのボケに対して観客が必ずツッコミを入れるところ
だと思います。

それも次々とやってくる仮装ランナーに対して、観客の誰かがツッコンでいる光景は大
阪ならではのものだと思います。

来年の大会ではどのようなボケとツッコミが展開されるのか、今から楽しみです。

神無月と神在月

10月のことを神無月(かんなづき)といいますが、ある地方のみ神在月(かみありづき)
というそうです。

その地方とは出雲大社のある島根県です。

なぜなら全国の神さまたちが毎年10月に出雲大社に集まり、会議を開くらしいので
島根県以外の地域は神さまが留守になってしまいます。だから神無月というらしく、
島根県のみ神在月となるのです。

実は、島根県以外に長野県の諏訪地方も神在月というらしいのです。

この理由がとても興味深いです。

諏訪大社の祭神である諏訪明神があまりにも大きな体であったので、それに驚いた
出雲に集まった神々が気遣って「諏訪明神に限っては、出雲にわざわざ出向かずと
も良い」ということになり、10月にも神さまがいるので神在月というそうです。

想像するだけで笑いがこぼれそうになります。

このように神話に出てくる神々はとても大らかで、喜怒哀楽に富んでおります。

神話が出てくる日本最古の歴史書「古事記」が712年に編さんされて来年で1300年
になります。

島根県では古事記編さん1300年を記念し、来年の7月より「神話博しまね」が開催さ
れます。

日本の神々の魅力にふれるいい機会だと思いますので、来年は島根に訪れたいと
思っています。

新老人

先日、地域の敬老の日の行事案内が回覧板で来ていました。。

毎年の恒例行事なのであまりじっくりと読まなかったのですが、ふと見ると「新老人
の方は・・・」というくだりがありました。

「新老人」って何だろうと思い読み続けていくと、新老人とはこの1年で満70歳になっ
た人と定義されていました。

日本人の平均寿命が女性86歳、男性79歳であることを考えるとなるほどという感じ
です。

しかし、年寄くさい若者や気の若い老人をみると「若さ」と「年齢」にギャップがあるこ
とも多いです。

ここでサムエル・ウルマンの「青春」の一節を引用したいと思います。

「青春とは、人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。逞しき意志、優
れた創造力、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う
様相を青春と言うのだ。年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老
いがくる。(以下略)」

この詩はマッカーサー元師が愛誦していたことで有名になりましたが、私もはじめて
この詩にふれた時に心を打たれました。

年齢を重ねてもこのような心の持ちようで生きることができれば本当に幸せだと思い
ます。

会話のキャッチボール

人と人とのコミュニケーションで一番大事なのは会話だと思います。

会話はキャッチボールと似ていて、相手の受けとれる範囲と速度を考えて投げなけ
ればいけません。

「会話が弾む」とは、まさしく相手のストライクゾーンにテンポよく投げ、相手もこちら
にしっかりと投げ込んでくる状態ではないかと思います。

逆に会話が弾まない人は勢いのないボールがかえってきます。

「映画とか見る?」

「見ます」

「音楽は?」

「聴きます」

「○○って知ってる?」

「知らないです・・・」

「・・・・」

これではこちらがいくらボールを投げても続きません。

昔からあまり人から干渉されたくないクールな人はいました。

ただ最近感じるのは、自分の知らないものに触れた時に、知ろうとせずにそのままに
してしまう人が多いように思います。

自分の知っていることなどたかが知れています。自分以外の人や書物等から得る知
識が膨大なのです。

無知が恥なのではなく、好奇心や知的探究心の欠如が恥だと思います。

Mさんの引き際

先日、お世話になったMさんの引退パーティがありました。

Mさんはある会社を50年勤め上げ、業界のナンバーワンにさせた伝説的な方です。

いつも笑顔を絶やさず、懐の深い人間的な魅力に富んだお人柄は周りのみんなか
ら愛される存在です。

そのMさんが6月末をもって全ての役職から退くことになりました。

周囲からは相当な慰留があったようですが、その決意は固かったようです。

有志の人たちが企画したそのパーティは500人以上の出席者が集まり、会場は満
員でした。

Mさんの元気な姿をみると、まだまだ引退するのは早いのではないのかとほとんど
の人が思ったと思いますが、その会場でMさんは引退の理由を淡々と述べていまし
た。

今年の1月に妻から「最近、怒りっぽくなった」と言われたことがきっかけだそうです。

その時に一切の役職を降りようと決意したそうです。

流石です。

自らの言動の影響力を知る人の孤独な決断であったと思われます。

人間は引き際を間違うと今までの功績が台無しになってしまいます。

このような引き際で仕事を終えることが理想ではないかと思いました。