犬笛広告

犬笛とは、犬にしか聞こえない周波数の音を奏でる笛で、英語でドッグホイッスルといいます。

欧米では選挙の季節になるとこの言葉をよく聞きます。

犬にしか聞こえない周波数のように、一部の人に届く強いメッセージをさりげなく盛り込んだ選挙広告を「犬笛」と呼びます。

この夏、トランプ米大統領陣営が作ったCMはその典型です。

高齢の白人女性が一人で夜中、居間でテレビを見ています。架空のニュース番組が「警察経費の削減」を伝えています。女性の背後で強盗の影がちらつき、あわてて警察に通報するも経費削減で留守番電話。CMは受話器が床に落ち、強盗に襲われた結果を想起させます。

こんなドラマ仕立てのCMが効果あるのかと多くの日本人は不思議に思うかもしれませんが、米国の一部の白人にとってここに描かれているのは身近な脅威そのものなのです。

特にトランプ氏の支持層はこうした犬笛広告に影響されやすいのです。

アメリカは銃社会であり、治安の心配は日本以上です。

身近な脅威は常にあり、危機感を抱くほどに強権的な指導者を求める傾向が強いといわれています。

トランプ氏の支持率があまり落ちないのは、そのような要因なのかもしれません。

真逆の価値観

TBS系の二つのドラマが大人気です。

一つは社会現象にもなっている「半沢直樹」です。主役の堺雅人さんや共演する個性派俳優たちが繰り出す顔芸や歌舞伎のようなオーバーなセリフが大人気です。

もう一つは9月1日の最終回の視聴率が19.6%という大ヒットになった「私の家政夫ナギサさん」です。

俳優の大森南朋さん演じる男性の家政婦が、働く女性の身の回りの世話 (そうじ、洗たく、料理など) をするというお話です。

この二つのドラマは真逆の価値観です。

半沢直樹は悪い敵役ばかりで最後は土下座か「わびろ」です。

一方、ナギサさんは善人ぞろいで対立はありません。

半沢直樹に登場する女性は専業主婦、料理屋の女将、男性のアシスタントに対し、ナギサさんは女性がバリバリと働き、男性がそれを支えるという設定で男女の立ち位置が真逆です。

女性が働くのが当たり前になっている今、男性が家事をすることも普通になってきており、それが得意な男性もたくさんいます。

大森南朋さん演じる家政夫は言います。「お母さんになるのが夢だった」

男だから女だからという価値観は、もうとっくに古いものになっているのかもしれません。

ニューノーマル

ウィズコロナやニューノーマルなどの言葉が出回って久しいですが、もう新しい生活にも慣れてきた感じがあります。

いろいろな施設の入口で体温検査や手指の消毒が当たり前のように行なわれています。

店でのビニールシートやアクリルのパーテーションも日常の風景となりました。

導入当初は「何もそこまでしなくても」といった反応も多かったと思います。

それが今や当然のように受け入れられています。

興味深いのは接客業でのマスク着用です。

少し前までは「お客さんに対して失礼だ」とか「表情が見えない」とかの理由で着用に消極的でありました。

今ではマスクを着けていないといけない真逆の状況になっています。

常識や慣習はいとも簡単に変化するものだと痛感致します。

ニューノーマルもすでにノーマルになっているのかもしれません。

2020年の急激な変化は歴史の中でどのように伝えられるのでしょう?

「全員がマスクしている異様な年」と伝えられるのか、「この年からマスク着用が始まった」と伝えられるのか、今後のコロナとの闘い次第です。

「老い」とは

先日、老いについての記事を読みました。

その記事によると「老い」とは「年を重ねること」だと思っている人が多いけれども少し視点を変えると違った印象になるということです。

例えば10歳の小学4年生が19歳になり大学に入学しても「老い」とは言わず、「成長した」と表現するでしょう。

20歳の学生が30歳になったら「経験を積んだ」と表現するでしょう。

それら2つの例はどちらも年を重ねているのに老いとは表現しません。

つまり「年を重ねること」イコール「老いる」ことではないのです。

生理学的には老化しても成長をし経験を積んでいる間は老いてはいないというのです。

私の周りの人でも高齢であっても、新しく出会うことにチャレンジし受け入れ工夫し乗り越える柔軟な心を持っている人がいます。

体は老化しても心はチャレンジし続ける姿勢を持つ人は「老いる」ことはないのだと思います。

サムエル・ウルマンの「青春」の一節が思い浮かびます。

「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたを言う。年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。」

電話運

商談中の相手の携帯が鳴る時があります。

チラッと見て「別にいいです」と言って、その人は商談に戻ります。

すると又かかってきて「どうぞ、電話に出て下さい」と言っても相手の方は「急がないので」と言って出ません。

これだけ掛けてくるのだから電話を掛けてくる相手は急いでいるのではと心配をしてしまいます。

世の中には不思議に電話を掛けてくるタイミングの悪い人がいます。商談中、電車の中、食事中などすぐに電話に出られない時にばかり掛けてくる人がいます。

もちろん相手も意図しているわけではないのでたまたまなのですが、こちらが一息ついて折り返し電話をするとタイミングが悪く相手が出られないこともあります。

それが2~3回も続くと気になってきます。やっとのことでつながると、大した用事ではなかったりします。

逆に一人で時間のある時に電話を掛けてくる人もいます。これもたまたまなのですが、不思議と同じ人だったりします。

時間と心に余裕があるので話がうまく進展することもあります。

人との出会いは運とタイミングです。電話運も大事にしていきたいと思っています。

 

人に会うよろこび

新型コロナの影響でリモートワークが盛んです。

得意先とのオンライン会議もだんだんとあたり前になってきて、会わなくても仕事が回っていくものなのかと思ってしまいます。

でも何か違う、何か物足りない感じがするのです。

オンラインで話すことと実際に話すことは何が違うのでしょう?

ある人類学者によると、人間は他者への信頼は視覚と聴覚だけではなく、嗅覚とか味覚とか触覚とかの感覚も使って築くものらしいのです。

又、京都大学総長の山極氏は人間というものを以下の様に分析しています。

人間の視覚と聴覚を使って他者と会話すると、脳で「つながった」と錯覚するのですが、それだけでは信頼関係はできないのです。なぜなら人は五感のすべてを使って他者を信頼するようになる生き物だからです。

そのとき鍵になるのが嗅覚や味覚、触覚といった本来「共有できない感覚」なのだそうで、他者の匂い、一緒に食べる食事の味、触れる肌の感覚、そうしたものが他者との信頼関係を築く上で重要なのだと言っています。

他者を信頼するという極めて人間的な行為が極めて動物的な感覚によってのみ築かれているのです。

オンラインでの物足りなさの正体はこれなのかも知れません。

信頼できる人と三密を気にせず共に食事をして笑い、語り合うそんな日常がとても恋しく感じます。

「人に会うよろこび」今しばらくは我慢しなければなりませんが、大切にしたい気持ちです。

 

縁起担ぎ

なぜ日本人は縁起担ぎをする人が多いのでしょう?

脳科学の視点から「縁起担ぎ」をする理由を考えると2種類に分かれます。

1つ目は「成功体験による縁起担ぎ」です。物事が非常にうまくいった時はセロトニンとドーパミンが大量に分泌されます。

その快感は脳に明瞭な記憶として残り、もう一度味わいたいと脳は欲します。その時着用していた「赤い服」や「黒い手袋」などが成功体験の縁起物として脳が記憶しているのです。

2つ目は「負の遺産としての縁起担ぎ」です。思わぬ失敗をした時はストレスホルモンであるコルチゾールが大量に分泌されます。

その強度なストレスも脳に明瞭な記憶として残り、もう二度と味わいたくないと脳は欲します。その時の失敗体験をできるだけ避けようとします。1つ目とは逆の意味での縁起担ぎです。

「縁起担ぎ」にぴったりの英語がないように、日本人は「縁起担ぎ」にこだわる人が多いといわれています。

最近の研究でセロトニンの量を調節しているセロトニントランスポーター遺伝子が不安に関係することがわかってきました。

世界的な調査で日本人は遺伝的にその不安遺伝子を持つ人が多いのです。

そのため日本人はあらかじめ自分なりの「縁起担ぎ」をして自分の心を落ち着かせようとしているのかもしれません。

心の処方せん

電車が少しずつ混み合うようになり、通常の経済活動が戻りつつあると実感致します。

しかしながらコロナ感染や景気後退の不安がつきまとい、又それらがいつまで続くのかわからないことがつかみようのない不安感になっているのだと思います。

そんな時に自分の心を安定させてくれるものは何だろう?

自粛期間中に自分と向き合い、自分の心の処方せんを見つけるいい機会になったのではないでしょうか。

自分の心に活気を与えてくれるもの、ほっとさせてくれるものは人それぞれで他人にはわからないものです。

人と会うことが心を安定させる人もいれば、人と会わないことが心を安定させる人もいます。

図らずも自粛期間が気づかせてくれました。

ネコを撫でる、ストレッチをする、オンライン飲み会をする、お気に入りのユーチューブをみる等、多くの人たちが不自由な環境の中で自分にとって活気ややすらぎを与えてくれる過ごし方をみつけたのではないでしょうか。

しばらくはウィズコロナの時代が続きます。

心が少し疲れたなと思ったら自分なりの心の処方せんで過ごして下さい。

ファクターX

WHO(世界保健機関)のテドロス事務局長は日本の新型コロナ対策について「成功している」と評価しました。

世界メディアは日本のコロナ対策は何から何まで間違っているように思えるが、不思議なことにうまくいっているという論調です。

世界での成功事例として、情報テクノロジーをうまく使いこなした台湾や徹底した検査と追跡、隔離で感染を抑え込んだ韓国、官学一体で合理性のある戦略にこだわったドイツなどがあります。

それらは「台湾モデル」「韓国モデル」「ドイツモデル」として感染拡大防止のため他国の手本となっています。

しかし日本は「日本モデル」として他国の手本とはなっていません。

実際に公共交通機関も止めず、要請ベースの緊急事態宣言は欧米に比べかなり緩いのですが感染者数や死亡者数が明らかに少ないのは事実です。

なにがうまくいったのかは不可解な謎なのです。

京都大学の山中伸弥教授は日本の死者数が少ない要因「ファクターX」があるのではないかと仮説を立てています。

山中教授の「ファクターX」の候補は「マスク着用や毎日の入浴などの高い衛生意識」「ハグや握手、大声での会話などが少ない生活文化」「日本人の遺伝的要因」「クラスター対応の効果」「BCG接種」などです。

それが解明できれば日本独自の対策が打てるので大いに期待したいです。

コロナが変える社会

5月25日 政府は残されていた地域の緊急事態宣言を解除しました。

これからは徐々に休業要請も緩和し、経済活動も進めていく方針だと思われます。

これはもちろんワクチンや治療薬がない中で、ウイルスと共存しながら仕事や生活をしていかなければならないということであり、それぞれに自覚と覚悟が必要であります。

弊社が展開している百貨店も次々に再開しています。

直営店も関西は25日から再開しており、関東は6月1日から再開致します。

新型コロナ感染防止策を徹底して、お客様に安心してご来店していただけるように万全を期しています。

コロナは私たちの生活を一変させました。

国民一人ひとりの健康に対する意識が高まったことは言うまでもありません。

朝起きて発熱はないか、倦怠感はないかなど特に意識しなかったことが最重要関心事となりました。

仕事のおいても「発熱があれば自宅待機」があたり前となり、以前の「少しくらいしんどくても頑張って働く」という昭和的常識が社会的にNGとなりました。

社会的常識をゆさぶるコロナ。

次は何を変えるのでしょう?