イタ車

先日、バスに乗っていると前の座席の若者の会話が聞こえてきました。

「うわっ!イタ車や!」と窓際の男子。

「ほんまや!」と返す通路側の男子。

その目線の先には私が想像していた車とは大違いの車がありました。

恥ずかしながら私が想像したのは「イタリアの車」で「イタメシ」(イタリア料理)
「イタカジ」(イタリアンカジュアル) の延長線上での発想でありました。

実際に目に飛び込んできたのは、美少女系のアニメキャラクターを全面に装
飾した車でした。

帰って調べてみると「イタ車」ではなく「痛車」で装飾のモチーフが「痛々しい」
のが痛車の基準であるらしいです。

2000年のはじめからオタク文化が世間一般に広く知れわたるようになり、キャ
ラクターを全面に装飾した「痛々しい」車が現れはじめたそうです。一部の人た
ちの間でブームとなっているようです。

モータースポーツの世界では様々なキャラクターを配した「レーシング痛車」が
活躍しているそうです。

ちなみに同様の改造をしたバイクは「痛単車(いたんしゃ)」と呼ばれ、自転車
は「痛チャリ(いたチャリ)」と呼ばれるそうですが、残念ながらまだ見たことが
ありません。

長谷川等伯という人生

先日、京都国立博物館で開催されている「長谷川等伯展」に行ってきました。

長谷川等伯が登場した時代は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と権力者が次々と
変わっていく激動の時代でありました。その中で地方から出てきた絵師が才能と人
脈を使い、どんどん出世していく様は痛快なジャパニーズドリームであったと思いま
す。

当時は狩野派とよばれるスーパーエリート集団が牛耳っておりました。中でも等伯と
4歳年下の狩野永徳は、若い頃からそのずば抜けた才能とグループの力で天才の
名をほしいままにしておりました。

等伯は33歳の時に一大決心をして絵師として大成するために地元の能登から京都に
移住してきました。しかしその後17年間はどこでどのように修行していたのかは不明
とされています。そして51歳の時に千利休のすすめで大徳寺三門の壁画を描き、一
躍狩野派を脅かす存在になったのです。

その翌年、御所対屋の障壁画制作をめぐり狩野永徳一門と対立し、狩野派の政治力
の前に排除させられてしまいます。しかしその1ヶ月後、狩野永徳が急死するのです。
遅咲き等伯の時代がやってきます。

豊臣秀吉の命をうけて祥雲寺障壁画に着手、長男 久蔵とともにすばらしい障壁画を
完成させて、大絶賛を受けました。長谷川派の時代が到来したと誰もが思ったことで
しょう。

しかし翌年、長谷川派の次世代リーダーの長男 久蔵が急死してしまうのです。享年
26歳、あまりにも若い天才絵師の死でした。

長谷川等伯はたぐいまれなる才能を持ち合わせて順調に出世していく人生でありまし
たが、一方で妻や子供に先立たれるという悲哀に満ちた一面もありました。

「仏涅槃図」や国宝「松林図屏風」等は、元々信仰心の厚い等伯が先立った親族への
鎮魂歌ような想いで描いたのではないかと思います。

等伯の死後、長谷川派は表舞台には出てこないのですが、狩野永徳の再来といわれ
た狩野探幽や江戸中期の円山応挙が等伯の画風に影響を受けたと言われています。

等伯の活躍した時代は一瞬でありましたが、新しい技法にチャレンジする姿勢と造形
的特質はその後の絵画史に長く足跡を残したといえるでしょう。

成熟社会へ

日本の消費力が落ちて百貨店を中心とした小売業の不振が騒がれている中、意
外なニュースを目にしました。

英国の美術専門誌「アート・ニューズペーパー」4月号が2009年に開かれた展覧
会の入場者数の順位を載せ、1日あたりの入場者数で日本がトップ4を占めたと
いうのです。

その内訳は、第1位 東京国立博物館「国宝 阿修羅展」(1日平均 15,960人)、第2
位 奈良国立博物館「正倉院展」(同 14,965人)、第3位 東京国立博物館「皇室の
名宝展」(同 9,473人)、第4位 国立西洋美術館「ルーブル美術館展」(同 9,267人)
です。

このニュースのすごいところは、パリ、ニューヨーク、ロンドン等の名だたる美術館
を押しのけて日本がトップ4を独占したというところです。そして前述の同誌は「日
本人の展覧会愛好熱は不況知らず」と書いてあります。

私も先月に京都国立博物館で開かれていた「ハプスブルグ展」に行って来ましたが、
すごい人で入場するまで90分待ちました。来ている人たちも若いカップルからお年
寄りまで様々で、肩をはらずに鑑賞している様子は文化的なものが自然と人々の
生活の一部になっていると感じました。

日本社会は確実に「モノ」から「コト」へと価値観が変化し、成熟した社会へと変貌
を遂げようとしているような気がします。

もうすぐ東京で約29万人の入場者を記録した「長谷川等伯展」が京都国立博物館
にやってきます。

作品も興味深いですが、無名の絵師から千利休に見いだされ、当時全盛を極めて
いた狩野永徳率いるスーパー絵師グループ「狩野派」の最大のライバルにのぼりつ
めていく長谷川等伯の人生は、日本史の教科書ではわからない深みがあるのでは
ないかと思っています。

会期が4月10日から5月9日までと短いので混雑覚悟で行ってきたいと思います。

悩まない悩み

先日、知り合いの大学教授から興味深い話を聞きました。あるテーマにつ
いて学生にレポートを提出させたところ、80%ぐらいの学生の答案が同じ
であったらしのです。

その大学教授は、ある1人の学生のレポートが出回ったのではと推測し、
学生に問いただしたところ、全ての学生は自力でレポートを作成したと言
います。その言葉にうそはなかったらしいのです。

真相はこうです。そのテーマでネット検索すると参考となる資料が数多く
出てくるのですが、上位3つぐらいまでをうまく組み合わせるとその答案
の内容になるそうです。部分的な言い回しは少し違うのですが、大体の
内容は同じになるのです。つまり学生たちはお互いに相談したのではな
く、同じ情報源を使ってレポートを作成したということです。

知識や情報を得るということではネット検索は大変有効であると思います
が、勉強をするということは物事を自分なりに観察、推理、検証し思考を
深めていく作業だと思います。最後の結論に到達するまではいろいろと
考え、仮説、検証の繰り返しを経て、自分なりの答えを導いていきます。
言うなれば結果よりもそこに至るまでの長くて苦しい道のりの作業過程
にこそ意味があるのではないかと思うのです。

検索すれば悩まなくてもすぐに結果が出てしまうことが現代人にとって大
きな落とし穴になってしまうのではないでしょうか?最近、情報量、知識量
はすごいのに人間としての深みがないという人に出会うことがあります。
多分その人は悩むことなく結果のみを得ているのでしょう。

悩みは成長の糧であると、全ての悩んでいる人にエールを送りたいです。

蕎麦屋で感じる「粋」

先日、東京でお客様と一緒に夜、蕎麦屋さんに行きました。驚いたことに東京
の蕎麦屋さんは昼の顔と夜の顔が全然違います。

私を含め関西の人は、そばは手軽な昼食というイメージで、うどんや丼と同じ
選択肢ではないかと思います。だから夜に蕎麦屋さんに行くことはほとんどな
かったと思います。

東京の蕎麦屋さんの夜の顔は、大人のための静かな和風居酒屋です。一人
又は二人で静かに酒と肴をいただく空間で、騒いでいる客はいません。

まさに「粋」な世界です。

酒肴も板わさ、焼みそ等、関東では定番メニューらしいですが、関西の人にと
っては何なのか想像もつかないものが多いです。一人気ままに手酌でお酒を
飲んでいる人が多く、静かに読書しながら飲んでいる人もいます。皆、一様に
リラックスをして一人の時間を楽しんでいる様でした。

ひととうり、お酒を楽しんだ後に「せいろ」と呼ばれるざるそばを最後に食べる
のが一般的な食べ方のようです。お茶漬けかラーメンなどの温かいものを締
めに食べると思っていた私にとって意外でありましたが、BGMもない凛とした
空間で背筋をピンと伸ばして食す締めの蕎麦は格別な味でした。

そういえば昔、東京の知人に休日の楽しみは何ですかと聞いたところ、「昼の
3時ぐらいから蕎麦屋で日本酒を一杯やりながら池波正太郎の時代小説を読
むこと」と言っていたのを思いだいました。聞いた時は全然イメージがわかなか
ったのですが、今はとてもよくわかる気がします。

一度やってみたいのですが、残念ながら大阪でそのような店はないかもしれま
せん。

マロニーちゃん

「秘密のケンミンSHOW」というテレビ番組が好きです。人気番組なのでご存知
の方も多いと思いますが、それぞれの都道府県の秘密をカミングアウトするとい
う内容です。

この番組をみていると日本はせまい国土なのにたくさんの風土、習慣があり、こ
れだけの情報化社会であるのに、その地域のみでしか流行していない事がたく
さんあるのに驚かされます。

特に大阪は番組内でも「ヒミツのOSAKA」というコーナーがあるくらい、他の地
方からみると秘密がいっぱいなのかもしれません。大阪に住んでいる者にとって
は逆に「それって大阪だけなのか」と思うことが多々あります。

「味付け海苔」が他の地方にはなかったり、「ヘレ肉」といっているのは関西だけ
であったり驚くことがいっぱいです。

そして、先日の「秘密のケンミンSHOW」で今までみた中で一番衝撃的な事実
を知りました。それは大阪では鍋料理には「しらたき」のかわりに「マロニー」を
入れると驚きをもって放送されたことです。

大阪人は鍋に「マロニー」を当然のように入れます。そして、当たり前のように全
国でもそうしていると思っていました。しかし、それが大阪ローカルの食習慣であ
ったという事実と、今まで気づかなかったという事実は私にとってかなり衝撃的
でありました。

そう思うと今まで当たり前と思っていたことが、他地方の人からみると不思議な
ことであることが少なくないかも知れません。

そういえば、大阪人は「マロニー」のことをなぜか「マロニーちゃん」といいます。
「あめ」のことを「あめちゃん」というように・・・  大阪、不思議です。

感謝!

今年も早いものであと残り一週間となりました。大変厳しい1年でありましたが
このように無事に年末を迎えることができるのはひとえに得意先、仕入先、そし
て従業員の皆さんのおかげであると思っています。

私なりにこの1年を振り返ってみると、様々なことにチャレンジした1年であった
と思います。

その中で一番大きなチャレンジはこのブログの開設だと思います。

関係者のすすめで初めは正直あまり乗り気でなかったブログが、なんとか一週
間に1度のアップではありますが、継続できていることが何よりもうれしいです。

「ブログを書かねば」と思うようになってからは、周りの景色が違って見えてきま
す。何かと好奇心が出て来ますし、物事を探究しようという気になってくるもの
です。

少し見聞きしたことでも正確な情報かどうか調べますし、この微妙なニュアンス
をどう伝えたらいいのか、表現にも工夫しようと思います。

そのような何気ない変化が自分の中に芽ばえてきているのを感じます。私にとっ
てとても大きなプラスの成長であったと思います。だからブログを勧めてくれた関
係者の方に感謝したいと思います。

まだまだつたない素人ブログではありますが頑張って続けていきたいと思います。

最後になりましたが、私どもの会社を応援してくれている全ての人に感謝をささ
げながら本年最後のブログの幕を閉じたいと思います。

ありがとうございました。

「家で鍋!」

冬が近づいて来ると、鍋のおいしい季節の到来です。

気の合う仲間たちと1つの鍋をつつきながら、ワイワイ、ガヤガヤと盛り上
がる光景はこの季節ならではだと思います。

たいてい一人ぐらいは鍋を仕切る鍋奉行がいて、具を入れる順番、食べ
る順番を各人に教え、ぞうすいを職人のような手つきで見事に仕上げて
いきます。

そして、皆がおなかいっぱいになり「あーおいしかった」と満足感にひた
ります。

鍋とはそういったものであると、思っていました。

しかし、先日興味深いアンケート記事を読みました。

若いカップルにクリスマスの予定はと聞いたところ、なんと8割以上の
男女が「家で鍋 !」と答えていました。

その理由が「安くてヘルシー」「おいしい」「まったりと過ごせる」「盛り
上がる」等でありました。

私は理由に異論はありません。しかしクリスマスのデートといえば、お
しゃれをして外食をするのが定番であり、王道であると思っていました。

家で鍋はいつでもできるし、クリスマスの華やかで特別な非日常的イ
メージとは全然合わないと、私は思ったのです。

でも、今の若い人達はそうは思わないのでしょう。

いいのか、悪いのか、わからないですけど、外食産業が大変なのは間
違いないでしょう。

気合い測定機

気合いがどれくらい入っているかを、数値で測定できる機械があれば興
味深いと思います。その気合いのうち、どれくらいから回りしているかの
割合も出せれたらおもしろいと思います。

例えば、気合い測定機の最大値が1000とするとイチロー選手などは常
に850~900ぐらいをマークしてそうで、から回り度も0%のような気が
します。

野球の実況席に気合い測定機があるとおもしろい解説が聞けそうです。

実況 「さあ、バッターものすごい気合いです。手元の測定機で測って
    みましょう。おおっ 750です。」

解説 「しかし、から回り度が80%となってますよ・・」

実況 「ピッチャーはどうでしょう。気合いが表に出ないタイプですが・・
    なんと800でから回り度は10%です。」

解説 「内に秘めたる闘志がメラメラと燃えているんでしょうね・・」

まわりにも測定したい人がたくさんいます。どう見てもから回りしている人、
一生懸命にやっているのかわからない人、気合十分に見える人等、本当
はどうなのか知りたい気もしますが、少し知るのが恐い気もします。

誰かが言っていたのを思い出しました。

「人生にはわからないままにしておいたほうが、いいこともある」

人間の感情(愛情、友情、心配等)は測れないからドラマが生まれ、そ
れぞれの人生を演出しているのでしょう。

天高く馬肥ゆる秋

ぬけるような青空をみていると「天高く馬肥ゆる秋」という言葉が脳裏に浮か
んできます。

空は澄みきって高く、牧草などの食べ物も豊かになって馬も肥える秋の好
時節になったという意味です。

しかし、昔の中国では馬が食欲を増し肥えてたくましくなるので、北方から
の侵入に備え、国防を固める時期であるとされてきました。

今の日本では、いろいろな秋の味覚が収穫の時期に入るので「食欲の秋」
と同じように使われていると思います。

秋の味覚の代表格はマツタケではないでしょうか?

今年は中国産のマツタケが復活の兆しです。農林水産省によると中国産の
マツタケは国内市場の約6割を占め、価格は国産の2割弱だそうです。

昨年は中国産の食品への不信が高まり、大幅に減少しましたが今年は復
権しています。

マツタケ以外でも中国産の食品は日本に大量に輸入されており、中国産の
食品がなければ日本の食卓は成り立たなくなっています。

グローバル化がより進んでいく中で、平和を維持することが全ての前提にな
っているのだなと澄みきった青い空をみて思いました。