すっぴんでOK

男性にはわからない女性ならではの悩みがあるのですね。

会社に出社せずに在宅勤務で仕事をする人たちが増えています。

その在宅勤務する女性たちがオンライン会議のためにわざわざ化粧をするのが負担であるという悩みがあるそうです。

そこで資生堂がオンライン会議で画面上に表示される顔に自動で化粧をするアプリを開発しました。

パターンは4種類で、顔色や口元の明るさも調節できるというすぐれもの。

さらに自宅内の様子が映るのにも配慮し、背景をぼかす機能までつけたそうです。

さすが資生堂です。かゆいところに手が届いています。

これでオンライン会議のたびに化粧をしたり、映る部屋を片づけたりといった負担は解消されそうです。

ただ、このアプリが普及すると化粧品が売れなくなってしまうのではと思うのですが…

しかし、「アプリで美しくなることで気持ちが高まり、逆にメークをしたいと思ってもらえるはず」と資生堂はコメントしています。

さすが資生堂です。感服いたしました。

多面的だから面白い

島倉千代子さんの代表曲 「人生いろいろ」 の歌詞は趣きがとても深いです。

人はみな違って当たり前、人それぞれの生き方があるという意味が込められています。

人はそれぞれ性別、年代、生い立ち、容姿、学歴、思想、職業、経験知などが違います。

外国へいけば、人種、文化、宗教などの違いがよりはっきりとして、人は違っていて当然と思えてきます。

一人の人間もまた、様々な面を持っています。

いつも憎まれ口をたたいている人が意外にも温情家であったり、いつも素直な人がとんでもない強情ぶりを発揮して周りを驚かせたりします。

短所の裏には長所があり、美点の裏には欠点もひそんでいるものです。

「遅いのではなく慎重」 「速いのではなく拙速」

表現により、その印象は大きく変わります。

大事なことは人の一面にだけとらわれて、他のよい面を見失しなわないようにすることです。

自らのせまい「常識」にはめ込んで、他の人を批判する傾向が多くなっているのではと危惧しています。

自分も含めて人は多面的です。

だから人は面白いのです。

 

コミュニケーション能力とは?

コミュニケーション能力が社会で、もてはやされています。

もちろんあった方がいいに決まっていますが、そのような能力のみに長けている人ばかりでは社会は成り立ちません。

モノを作る職人という仕事は、コミュニケーション能力よりもしっかりとモノを作る能力が要求されます。

口数が少なく、人づきあいはうまくないが、やるべき仕事はきちんとやるといったタイプが職人には多いと思います。

かつての日本はモノを作る職人や自然を相手にする農業、漁業といった職業がそれなりの人口を抱えていたのですが、だんだんと減少しています。

職人の代表格の大工さんは、かつては100万人以上いましたが、最新の統計では40万人にすぎません。

600万人を超えていた農業人口は、今や200万人を割っています。

そのような職業が急激に減少しています。

かわりに営業力や企画力、提案力が重宝され、弁が立って理屈を言える人が求められているような気がします。

それは日本の産業構造が製造業からサービス業にシフトしている事に深く関係しています。

そもそも、コミュニケーション能力とは何を指すのでしょう?

理解力か言語能力か空気を読む力か対人調和力か、深く考えるとわからなくなります。

私たちの会社の靴職人は毎日状態の違う革と対話して、力加減を調節して靴を作っています。

寡黙なコミュニケーション能力のある職人さん達です。

 

白か黒かの危うさ

物事をはっきりとさせるために白か黒かを決めることは日常的によく行なわれています。

しかしながら、歴史的な転換点で白黒つけることは非常に重要な意味を持ちます。

6月に行なわれた英国のEU離脱の国民投票。

英国のみならず、世界を揺るがす決断でありました。

結果は大方の予想を裏切り、離脱派の勝利でした。

興味深いことに、投票した英国国民のほとんどが 「えっ、まさか?」 という反応だったそうです。離脱派を強力に推し進めていた人でさえ、まさか勝つとは思っていなかったというのが本音のようです。

白か黒か、賛成か反対かという二者択一的な結果を導くための人々の思考はそれほど単純ではないと思われます。

「どちらかといえば賛成」 「○○という条件ならば賛成」 「反対ではないので賛成」 「意見はないが親しい人にお願いされたので賛成」 賛成や反対の理由は様々ですが、そのような理由は投票結果には関係ありません。

民主国家において民主的選挙の結果、すなわち目に見えた「民意」ほど強力な大義名分はないのですから。

二者択一的な決定の裏にある本音の部分を理解しないと、大義名分のみが独り歩きして一部の利権者に利用されてしまうことになりかねません。

白か黒かの決断には実はグレーを選びたい人が大半であるかもしれないという危うさがひそんでいるような気がします。

AI面接官

入社試験での書類選考を人間の代わりに人工知能(AI)が行なう企業が増えているそうです。

過去に採用した社員の履歴書などをAIが学習し、企業が求める人材の傾向を分析、合致する志望者を選び出す仕組みだそうです。

そうすることによって、人事担当者の好みといったあいまいな採用基準を排除し、公正な判断をする狙いがあるそうです。

ただ、志望者が採用に有利になりそうな虚偽の内容を履歴書に書いても、現時点でAIがそれを見抜くのは難しいそうです。

ということは、その企業の人材採用傾向を分析するAIが作成した履歴書ならば、一次書類選考はパスできる可能性が高いということです。

企業側も最終的には人間による面接が必要と考えているようですが、近い将来はAIを搭載したロボットが同じくAIを搭載したロボットを面接するということになってしまうのではないかと危惧します。

そうなれば、そもそも面接など必要もなく、企業側が求める能力のAIを搭載したロボットを発注すればいいだけの話になります。

企業の言う通りに働くロボット達のいる職場・・・

ランチタイムは充電タイムになるのでしょうか?

4年後

ブラジルのリオ オリンピックが閉幕しました。

開幕前はいろいろと不安材料ばかりが報道されていましたが、終わってみると素晴らしいオリンピックであったと思います。

特に日本選手の活躍は素晴らしかったです。

朝起きると毎日のように日本がメダルを取ったことが伝えられ、日本中が歓喜に沸きました。

柔道、水泳、レスリング、体操、卓球、バドミントン、そして陸上と、数えあげるとキリがないですが、スポーツの魅せる力は偉大であると改めて感じた次第です。

このオリンピックをみて、スポーツを始める未来のメダリストもたくさんいるだろうと想像をふくらませています。

4年後にバトンを渡された東京。

いかに世界の人たちを魅了していくか、腕のみせどころです。

そして4年後の東京オリンピックの開催時に、「自分はなにをしているだろう」 と考える機会を与えられたような気がします。

1年後ではなく4年後・・・

人々に愛される靴を作り続けることができれば、これ以上の幸せはありません。

 

失敗なし 感動なし

食事に行く店を探す時に、検索サイトで点数をチェックしてレビューを読む。

物を買う時もネットで長所、短所、価格をチェックする。

探したい情報が瞬時に集まり、比較検討して決定する。

多くの現代人がしている行動パターンだと思います。

この行動のおかげで極端な失敗はなくなりました。

お金を無駄にすることも、嫌な店で時間を過ごすことも少なくなりました。

ネット上でいろいろな人の意見や価値観を集約することで、店や物の事前情報を得て、失敗を減らすこのシステムは実に素晴らしいです。

しかし一方で、事前情報なしで訪れた店で予期せぬ味やサービスに出会った感動や、初めて手にした商品に心震わす機会は大幅に減ったような気がします。

失敗しないかわりに感動もしない。

このような生活パターンが当たり前になったのはいつからなのでしょう。

大きな失敗は避けたいですが、少しの失敗ならしてもいいかなと感じています。

予期せぬ感動を手にする可能性があるのですから。

ビールの歴史 その2

中世のころは、宗教的な理由でビール作りに制約が多かったため、主に修道院で作られていました。

13世紀ごろ現在のチェコにあたるボヘミアのヴァーツラフ王がビール製造禁止令を解除してほしいと教皇に訴え、その後はビールが広く製造されるようになりました。チェコのビールが今も有名な由縁です。

ドイツでは、1516年に「ビール純粋令」を施行したバイエルン公国のヴェルヘルム4世のおかげでビール製造が発展しました。

その「ビール純粋令」は、使用できるのはホップに限るとしたため、今のビールが誕生しました。

ビールの普及には、フランスの生物学者であるパスツールがひと役買っています。パスツールが酵母を利用したビールの発酵法を開発したことで、大量生産の基盤が作られました。

今やビールは世界各地で作られるうようになりました。又、地域限定の多種多様な地ビールもたくさん作られています。

ビールがおいしい季節ですので、様々なビールを味わってみたいものです。

ビールの歴史 その1

夏はビールの季節です。

頭上からじりじりと照りつける陽射しが気になってくると、今年もビールの季節が来たなあと感じる人も多いのではないでしょうか?

ビールの歴史は意外に古く、初めてビールを飲んだ人類は古代シュメール人だと言われています。

人類の文明の発祥地とされるチグリス・ユーフラテス河の流域でビールが飲まれ始めたのは、なんと紀元前4000年ごろ、今から6000年も前の事です。

人類初の酒とされる古代ビールは、当時の人々に好まれ、需要に供給が追い付かなかったようです。

そうなると量をごまかす悪徳ビール商人もあらわれます。

紀元前18世紀のハムラビ法典にはビールの量をごまかした者は罰として水に投げ込み、溺死させるという条項があったそうです。

「目には目を」 「歯には歯を」 というフレーズで有名なハムラビ法典とはいえ、ビールの量をごまかした者を溺死の刑に処するのはあまりにも酷だと思われますが、それほど重要な飲み物であったのでしょう。

常識を疑え

「そんなことも分からないのか!常識じゃないか!」と叱られた記憶は誰にでもあると思います。

しかし「常識」は時代によって変化するものもあると言わざるを得ません。

例えば、歴史においても私が学生の頃には「いい国(1192)作ろう」と覚えた鎌倉幕府が開かれた年でも、今の教科書では違います。

源頼朝は1185年に守護・地頭を置き、権力基盤を築いていたため、開幕は1185年とされています。覚え方は「いい箱(1185)作ろう」に変化しています。

又、昔は「あと30年で石油は枯渇する」と言われていましたが、現在は50年とされています。

シュールガスや天然ガスもあり、エネルギー不足はあまり言われなくなりました。

1リットルあたりのガソリンの価格も、実はミネラルウオーターよりも安いという事実も、昔の常識では考えられないくらいの驚きです。

お風呂の湯舟に入っても肩まで浸からないといけないと言われていましたが、今は心臓に負担がかかるので半身浴がいいとされています。

健康的なイメージのあった日焼けにおいても紫外線は皮膚によくないとあまりおすすめされていません。

これらは技術進歩の発展により常識が塗り替えられた例だと思います。

あと20年もすると、現在の「常識」が「常識」ではなくなることが常識的な判断ではないでしょうか?