生まれ変わるとしたら日本人になりたい?

ある新聞が上記の質問を10代から60歳以上の各世代に聞いてみたそうです。

その結果、10代では「ぜひなりたい」が57%、20歳代は40%、30~50歳代はいずれも
30%台で若い世代ほど日本に愛着があるという結果になりました。

今後の生活の見通しについても若い世代の方が「良くなっていく」と答えた人が多く、又、
日本の経済成長についても40歳代以上に比べて、若い人の方が楽観的な見通しの人
が多かったようです。

今年の成人式についてのコメントにしても、古い世代の人が「今の若い人は大変だ」と思
っている人が多いのに対し、当の若い人たちは大変だとは思っていない様子がうかがわ
れます。

このことはどう見るべきでしょう?

現実を知らない楽観なのか、世代間の価値観の相違なのか、判断に迷います。

おそらく両方あたっているのでしょう。

ひもとくヒントは今の若者がC世代と呼ばれていることです。

貢献(Contribute)で社会にかかわりを持つことに価値を見いだしています。

私を含めた古い世代が消費することで社会につながりを持った価値とは大きく違います。

C世代が社会の中心になった時、日本は今より良くなっていると確信しています。

マラソンブーム

新年の華やいだ雰囲気も一段落し、今年来た年賀状を整理する時期です。

年賀状という習慣は、日本独特のものではないかと思います。

若い人はメールであいさつをするケースが多くなっているので、年々年賀状の量は
減っているといえども36億枚以上出されているようです。

年賀状は長い間会っていない友人たちの近況がわかるので、個人的には好きな習
慣です。

しかしながら「なぜか続いている年賀状だけの知人」「出そうか出さないかといつも
迷う人」「そして出さないと決めた人から来る年賀状」「出しとけばよかったなぁと思
う後悔」・・・そのような事を毎年くり返している習慣でもあります。

今年の年賀状ではひとつ特徴的なことがありました。

私の周りの友人、知人に「マラソンブーム」が起きているのです。

「フルマラソン完走しました」「次はタイムアップを目標に」と体力の衰えを感じつつも
前向きにチャレンジするコメントばかりでした。

もちろん、それぞれの友人、知人同士は面識もありません。

ということは、日本中でみると、私の予想以上に本当にたくさんの人がマラソンをして
いるということなのではと推測しています。

そして興味深いことに、ほとんど人がマラソンを始めたことを後悔せずに次への目標
を明るく語ります。

実際はとてもつらいと思うのですが、走っている瞬間やゴールした時の達成感はそれ
をも凌駕するぐらいの満足感があるのだと思います。

ブームが去った頃、「マラソンはじめました」と言っている自分がいそうでこわいです。

経営方針の変更

新年あけましておめでとうございます。

2011年が日本にとって大変な年であったので、このように普段通りに新年のあいさつが
交わせることが幸せであるとしみじみと実感しています。

2012年より当社の経営方針を変更致しました。

2011年は「人にやさしく 数字にきびしく」というものでした。

今年は「協力する心 成長する姿勢」です。

当社は数年前より人材育成に力を入れております。

それは「企業は人なり」という考え方に大いに賛同するからです。

企業にとって売上目標、利益目標、不良品率、消化率等、数字で表されるものに努力、
邁進していくことは大変重要であると思っています。

しかしながら、その会社の人間の心が腐っていたらどうでしょう。人の事はおかまいなし
で、自分本位な振る舞いの中で達成された数字にはなんの価値があるのでしょう?

それは単なる空虚な数字でしかありません。

私は会社の成長は人の成長であり、人の成長は心の成長であると信じています。

だから「協力する心、成長する姿勢」の人を認めて評価していきたいと思っています。

困っている人を助け、失敗を他人のせいにせず、自省の中で次の改善点を見い出してい
く人材を育成していきたいと考えています。

2012年は一人でも多く、このような人材を輩出していきたいです。

ニッポンで生きていく

スウェーデンの世界最大の家具ショップ 「イケア(IKEA)」 が日本で苦戦していると言わ
れています。

イケアは洗練されたデザインと低価格を両立させ、そのビジネスモデルは全世界で成功
をおさめています。

しかし、日本では雑貨類はよく売れるのに、肝心の家具の売上がイマイチだそうです。

徹底したリサーチの結果、イケアの家具は安くてデザインもいいけれど大きすぎるという
印象を持たれていることがわかりました。

イケアは日本の平均的なマンションの間取りをそのまま店内に再現し、そこに家具付の
部屋を再現させました。

するとお客様の反応は「ちょうど我が家もこのくらいだからピッタリだ」と大きすぎるという
印象はほとんどなかったそうです。全く同じ家具なのにです。

一方、アメリカのハンバーガーチェーン「ウェンディーズ」が日本へ再進出することになり
ました。

「ウェンディーズ」は作り置きをしないオーダーメイドシステムで、新鮮な野菜たっぷりの
作りたてハンバーガーが人気のチェーンです。

その「ウェンディーズ」が12月27日(予定)に東京青山に再進出1号店をオープンさせます。

過去の失敗を修正し、日本市場に合うように満を持してやってきます。

家具の「イケア」、ハンバーガーの「ウェンディーズ」共に日本の消費者の目は世界で一
番厳しいと思っています。だからそこで認められたい、そこで闘う価値があるのだと言いま
す。

有力な外資チェーンがニッポンで生きていくことを覚悟し、日本市場をにらみ、日本風にカ
スタマイズしてやってくることは日本のライバルにとってもかなりの脅威であると思います。

私たちの靴業界も有力な外資が日本風にカスタマイズして、いつやってくるかもしれませ
ん。その日に備えて、日々努力していかなければならないと思います。

テクノロジーは雇用を破壊しているのか

この20年の時代の流れはすごいと思います。

1980年代にヒットしていたカルロス・トシキという日系ブラジル人歌手が、久しぶりに日
本に来て驚いたことが、もう日本人は電車の切符を買わないのですねということでした。

確かに今は、ほとんどの人がICカードで自動改札を通過しています。

私達はもう慣れ親しんだ光景であるのですが、久しぶりに来た人には驚くべき光景か
もしれません。

ICカードの登場で、小銭を用意して切符を買う必要がないので手間が省けました。しか
し、検札する駅員や大量の切符を発行する業務に携わっていた人の雇用は要らなくな
りました。

又、デジタルカメラの登場で、写真現像に携わっていた多くの雇用は激減しています。

テクノロジーが進化すればするぼど生活は便利になるでしょう。しかしその反面、ある
分野の雇用はどんどん減っているのも事実です。なぜなら、人がやっていることを機械
がより正確に効率的にこなしてしまうからです。

文明は人類を重労働から解放してきました。

過酷な農作業は牛や馬を経て、近代的な農機具にとってかわっています。

暖をとる薪集めや生活に必要な水くみも、先進国では必要なくなっています。

あらゆる産業の中で以前まで必要であった「人手」がいらなくなってきている状況が世
界的規模で起きているのではないかと思います。

雇用は人の営みを支え、消費に回っていきます。雇用が経済を支えているといっても
過言ではないでしょう。

テクノロジーのますますの進化が、普通の人の職を奪いとってしまうのではないかと心
配しています。

希望的観測のわな

先日、作家の浅田次郎さんの講演を聞く機会がありました。

浅田次郎さんは直木賞を受賞した「鉄道員」(ぽっぽや)をはじめ、多数著書を執筆し、人
情味あふれる作風は多くのファンから愛されています。

題材は、現代からさかのぼること150年間の話に限定しており、日本のみならず中国を
舞台にした小説も数多いです。

その浅田さんが日本のメンタリティは希望的観測に基づくものが多いと言っていました。

問題が起こると、これ以上に悪くなることはないだろうという根拠のない前提からはじま
り、「こうなってほしいな」「多分こうなるだろう」「きっとこうなる」「こうなるに違いない」と
論議を深めるたびに変化していくというのです。

そこには、責任をとりたくない気持ちや変化に対応することに億劫な気持ちに支配され
つつある人間の内面があり、安易に希望的観測にのってしまいがちな気質が日本人に
はあるというのです。

それは、常に隣国からの侵略におびえて、最悪のシナリオを現実的なものとしてイメー
ジして生きてきた中国大陸や、ヨーロッパの人々のメンタリティとは大きな差があるとい
うのです。

歴史的にみても、日本は実質的な他国の侵略を受けていない大変珍しい国であるとい
えます。

そこで生まれ育った日本人は、ある意味平和慣れしています。

それが悪いとは思いませんが、問題に対処する際にはくれぐれも安易な希望的観測に
のらないように注意しなければならないと思います。

希望ある会社へ

いつもこの時期は、来年の事業計画を立てる時期です。

今年の一年を振り返り、予定通りできたこと、できなかったことを検証し、来年の計画を立
てます。

特に今年は大震災があったので、予定通りにいかなかったことがたくさんあったと思いま
す。しかしながら、人との助けあい、絆など忘れかけていた価値観を思い起こさせ、痛切
に感じさせてくれる一年でもあったと思います。

普通に働くこと、食事をすること、入浴すること、ベッドで眠ることが幸せなことであること
をわからせてくれました。

そして希望をもって、一歩踏みだすことがいかに大切であるかを学びました。

今、日本をはじめ世界をおおっている閉塞感の原因は未来への希望がみえず、先行き
不安感がつのり、人々の活力が低下していることが主因ではないかと思います。

経済停滞、年金問題、雇用問題と、どれをとっても希望を見出すことが難しいかもしれま
せん。

そういう時だからこそ、希望をもって一歩踏み出していくことが大事だと思います。

私たちは来年度、増産体制にシフトします。

私たちの会社を「希望ある会社」にしたいと思っています。

昨日よりも今日、今日よりも明日が少しでもよくなっていくことを実感できる会社にしたい
と思っています。

それには、会社に集う全ての社員が一歩一歩成長していくことが不可欠です。

そして、全員の成長が会社に活力を与え、会社が成長してゆくと確信しています。

飢餓感

「今の若者は・・・」という世代間ギャップの話題はどの時代でも論議されてきたと思い
ます。

私の若い頃は「新人類」という言葉がはやり、その当時のオジサンたちは私達を全く
価値観の違う人種であるかのように分類していました。

その新人類とカテゴライズされた私達が今の若者はうんぬんというのはおかしな話だ
と思うのですが、育ってきた時代を冷静にみつめながら分析してみたいと思います。

今の若者の育ってきた環境は、それなりに充足している環境であったと思います。

よほどのぜいたくを望まなければ、それほどお金をかけなくても相応の快適な暮らしが
できる時代です。

おまけに学校では競争のない平和で仲の良い関係が保たれ、突出して何かをするこ
とがしにくい状況であったと思います。

だから好奇心というものが弱体化して車や異性、海外旅行という昔の若者の好奇の対
象に何ら興味を示さなくなってしまったのではないでしょうか?

何かを外部に求めること、探すこと、出会うことは好奇心から生まれてきます。しかしそ
こには傷つくこと、失望することも高い確率で発生します。

それは面倒くさいことなのでしょう。

何かを得たい、知りたいという欲求が高まらなければ行動を起こす意味すらもわからな
いでしょう。

しかしながら、今の若者のいいところもいっぱいあります。

環境保護に対して関心は高いし、暴力、差別、ケンカを嫌悪しボランティア精神も旺盛
な人が多いです。

でもそれだけでいいのかなと思うのです。

充足している環境は、動物園の中の猛獣のように飢餓感のない野生を忘れた生命体
を生みだしていきます。

飢餓感のなさを草食系といううまい言葉で表現しています。

「せっかく人間に生まれてきたのにもったいない」と妖怪人間に言われそうです。

妖怪人間ベム

闇にかくれて生きる 俺たちゃ妖怪人間なのさ
人に姿をみせられぬ けもののようなこのからだ

早く人間になりたーい!!

昭和の人にとってはなんとも懐かしくもコワーいアニメの主題歌です。

このアニメの実写版が高視聴率をキープし、話題を呼んでいます。

昔のアニメをみていた方は、亀梨くんのベムはかっこよすぎ、福くんのベロはかわいす
ぎ、杏さんのべラははまりすぎと思っているのではないでしょうか?

キャスティングの賛否はいろいろとあると思いますが、アニメを忠実に再現するというよ
りもつっこみどころ満載のリメイクの手法が新鮮です。

特筆すべきはベラでしょう。

女王様的な高飛車な物言い、世間体など一切気にしない行動は目に見えない社会的
ルールや規範にしばられて生きる現代人にとっては、一種の憧れではないでしょうか?

忘れてはいけないのは脚本の良さでしょう。

人間でない妖怪人間との触れ合いにより、本来人間が持っている倫理観や道徳観をと
りもどしていくというストーリーは単純明快であり、今の社会のムードによくあっていると
思います。

はからずも同局でのドラマ「家政婦のミタ」で松嶋菜々子演じるミタも、完全に人間離れ
しているキャラが人間を再生させる点では同じ視点であると思います。

今の閉塞感のある社会を立て直すには、超人的なキャラが必要ということでしょうか?

上から目線

最近よく「上から目線」という言葉を耳にします。

本来は対等の関係であるのに、優位的な立場での言動を「上から目線」というわかりや
すい言葉で表しているのだと思います。

しかし、若い人の中で明らかに間違っている価値観の中で使っているケースがあるよう
です。

例えば、上司が部下に対してアドバイスを与えた時に上から目線で言われたと思う人が
いるようです。

その時の関係性においては明らかに上下関係があり、上からの指導は当然であるにも
かかわらずです。

これはどういった構造なのでしょうか?

私が推測するに、一つの原因は人間関係の未熟さでないかと思います。

社会に出るまでに特に強い上下関係のある人間に深くかかわらずに、同世代の同じよう
な価値観をもった人間とのみつき合っていると、上下関係のある人間関係に慣れることは
ありません。

そのような若者が少しきつく指導されると「上から目線」と過剰に反応してしまうのではな
いでしょうか?

私の若い時は一歳違いでも先輩、後輩の差は歴然で、近所や親戚の口うるさい年長者
たちがたくさんいて、その中で自然と上下関係のある人間関係が形成されていったよう
な気がします。

若者側からの反論として、仕事上の知識や経験又は、人間的な器において優れている
ものはないのに、ただ立場や年齢が上というだけで一方的に決めつける言動が問題で
あるという指摘もあるようです。

上司や年長者も厳しい時代ですが、有益なアドバイスをうまく伝えるためにも伝える工夫
が必要ではないかと思います。