恩に報いる

4月は新しいコトが始まる時期です。

初めて新しい学校に入学する人、初めて会社に就職する人、又、新しい職場に変わった人等、様々であると思います。

それぞれの人々が新しい世界へ飛びこむ時のワクワク感と緊張感を持って望んでいると思います。

このスタート地点に立つまでは色々な事があっただろうと思います。

しかし忘れてほしくないのは、自分一人で到達したのではなく、家族、友人等の支えがあってこそだということです。

そしてもうひとつ、健康であることのありがたみです。

家族、友人等の支えと健康に感謝して、新しい道を切り開いてほしいと思っています。

新しい環境になじむことは大変です。ウマの合わない人もいるかもしれません。

他人は自分とは違うという当たり前の事を心の底から理解すると、何か解決の糸口が見つかるかも知れません。

成果を求めるあまり、頑張りすぎて体調を壊すことは誰も望んでいません。

自らの健康に留意して、一歩一歩確実に歩んでいくことが、周りの人々の恩に報いるということなのです。

理想のおじいちゃん像

先日、知人のバースデーコンサートに行ってきました。

そもそも、その知人のTさんが音楽活動をしていることを知らなかったのですが、誘われるままに行きました。

場所は小さなライブハウス。

お客さんの年齢層も高めです。

それもそのはず、このコンサートはボーカルTさんの81歳をお祝いするコンサートで、バンドのメンバーも60歳以上だと思われます。

演奏が始まりました。なんとなくゆるい感じでとてもいいです。

あまり連続して歌うとTさんが疲れるので、Tさん以外の人が歌う曲も演奏されます。

その時に事件は起こりました。

なんとTさんが寝はじめたのです。コックリ、コックリと体勢が崩れ座っていたイスから落ちそうになり、観客もTさんが気になって仕方ありません。

もう曲を聴いている余裕はありません。早く曲が終われと皆が思ったことでしょう。

「ジャジャーン」曲が終わりました。

するとTさん、ムクッと起き上がり何事もなかったかのように一言。

「さて、次の曲ですが・・・」

コントを見ているようでした。

スタッフが気を利かせ、背もたれ付きのイスを持ってきて、それ以降はずり落ちそうになることはなく、自分のパート以外は寝ておられました。

お客さんやバンドのメンバーから愛されているTさん。

こんなおじいちゃんになれれば最高だなと思いました。

バカモノノススメ

組織を元気にするには「ヨソモノ・ワカモノ・バカモノ」が必要だとどこかで聞いたことがあります。

「バカモノ」には少し注釈が必要です。

いわゆる前にある困難を深く考えずに、とにかくやってみる行動力のある人です。

反対の能書き人間は、前途が困難だと思われることはあれこれと言い訳をつけてやろうとはしません。

又、能書き人間は他人の失敗の批判が多いです。なぜ失敗したのかをうまく理論立てて話をするので、周りから評価されることもあります。

評論家にはうってつけですが、行動する人にはなれません。

行動には失敗がつきもので、時に批判にさらされることもあります。

しかし、行動する勇気は賞賛に値します。

安全地帯から一歩も出ずに行動しない能書き人間よりも、失敗して「オレは何をやっているのだ」と悩んでいる人間の方が伸びる力があると確信しています。

なぜなら失敗からの学びが成功の近道であるからです。

行動するバカモノに期待したいです。

オヤジギャグの効用

オヤジギャグは世間一般的につまらない代名詞のようになっており、周りの空気を寒くしてしまう代表として扱われています。

オヤジギャグという言葉が言われ始めたのは1990年代前半ですが、それ以前は単なるダジャレと言われており、必ずしもつまらない、さむいといったイメージではなかったと思います。

逆に、昔は会話の合間にダジャレをポンポンと入れてくる人は頭の回転が速く、こんなひねり技もあるのかと感心したものでした。

特に大阪の人は、吉本新喜劇をみて育っている人が多いので、ギャグにはギャグで返す習慣がついています。

国際政治の舞台でも、こんな事がありました。

飲み物の希望を聞かれた時です。

「紅茶をお願いします」  イギリスのサッチャー首相

「ミーツー」              アメリカのレーガン大統領

「ミースリー」              ドイツのコール首相

張りつめていた空気に笑いがおき、一気に緊張が解けたそうです。

ビジネスや面接など緊張感、緊迫感の強い局面では、息抜きのような緩いダジャレが場を和ませることがあります。

つまらないオヤジギャグでも場面によっては役に立つ場合があるのです。

オヤジギャグを冷めた目線で受けとめている皆さん、オヤジギャグにも効用はあるのです。

ルール社会の功罪

先日、東京の車内アナウンスの中で少し違和感を覚えるものがありました。

「座席にお座りの方は足を組んだり、投げだしたりすると他の人の迷惑になりますのでおやめ下さい」

程度の問題ではあるのですが、足を組むことを規制するのはちょっと行きすぎではないかと思いました。

なぜそのようなアナウンスを始めたのか理由はわかりませんが、恐らく足を組んだり、投げだしたりした人がいてクレームになったのではないかと思われます。

車内を見わたすと足を組んでいる人はいません。

いいんです。いいんですけど、ルールばかりがはびこると独創性が失われそうな気がします。

歴史的にみても、政府の締めつけが厳しすぎる国から芸術、美術、建築等の独創的文化はほとんど生まれてません。

種はあっても花を咲かせる土壌がないのです。

アップル、アマゾン、グーグルとアメリカでは今までの価値観を一変させるアイデアを持つ企業がたくさんあります。

世の中を変えたいという精神が社会にあるのだと思います。

世の中を変えるとは、既存の価値観や固定観念からの脱却です。

ルール社会は安全、安心な社会のためには必要であることは理解できますが、過度なルールは人間の思考力、創造力を鈍らせて同質化させてしまいそうで少し違和感を感じます。

 

ネットで買う理由

先日、パソコンを購入するために家電量販店に行った時の話です。

最近のパソコン事情を聞きたいのと、現物を見て買いたいと思ったので行きました。

お客さんはまばらで、販売員の多さが目につきました。

近くの販売員に相談し、おおよその予算とスペックを比較して機種を選定しました。

選定すると、「それではここで販売員が交替します」と言い、愛想の良さそうな販売員が登場してきました。

購入する意志は固かったので、あとは値段の交渉です。

「もう少しまけてくれませんか?」という問いかけに、その販売員さんはうーんと言いながら電卓を一所懸命にたたいたのち言いました。

「すみません、これがいっぱいいっぱいでして・・・」

仕方ないのでその金額で購入しようとしたのですが 「お客様、今、3000円で特別会員になってくれると長期保障と割引券をつけます。更にパソコン本体も4000円値引きします」と言いました。

少し心が揺らぎましたが、ていねいに断りました。

がっくりとした表情をうかべたその販売員は、気をとり直したように言いました。

「お客様、3000円相当のカニを購入していただくとパソコンを4000円値引きします。いかがですか?」

あまりの執拗なセット割引に半ばあきれながらも、最後まで説明を聞き、ていねいに断りました。

購入を決定してからレジで精算するまで20分は要したと思います。

店頭でみて、ネットで買うという人が増えているようですが、これからもそんな人が増えるだろうなと思いました。

ドラッグストアの閉店

自宅の近所にあるドラッグストアが突然閉店しました。

オープンして10数年は経っていたでしょうか?街並みの風景に同化していました。

夜11時まで営業していたそのドラッグストアは、急な買い物にとても重宝していた記憶があります。

閉店の予告もなく突然閉まったシャッター。

気さくに応対していた店員さんの顔が浮かびます。

今頃どうしているのか?

永年お世話になったお客さんに何の前ぶれもなく店を閉め、閉店のはり紙さえ出していない態度、姿勢を思うと、その従業員の処遇がどうなったのか気になります。

ドラッグストア業界は数少ない成長業界としてここ数年伸びてきましたが、現在曲がり角を迎えています。

その一因として、医薬品を巡る規制緩和があります。

原則、薬剤師の配置が義務付けられていたのですが、登録販売者という資格保有者の配置で販売が可能となりました。

又、2014年には、一定の条件を満たせばネット販売が可能となっています。

大手はM&Aによる規模の拡大を狙っています。

そのあおりを受けたかのような近所のドラッグストアの閉店。

またひとつ街並みが浸食されていくようでさびしいです。

 

直感と人工知能

東芝の不正会計問題についてある新聞はこう論評しました。

「トップの指示を忠実に実行するやり方が浸透し、逆に問題が起きやすくなった。現場は直感を大事にすべきだ。ビッグデータ、人工知能時代の盲点は数値化できない直感に重きが置かれなくなっていること。おかしいと思ったときの直感は案外正しい。」

実生活では頼ることの多い直感。

しかし、論理や統計を重んじる分野では「思い込み」「感覚的」と非難され、端に追いやられてしまう。

会議等の場面では、立派な統計やデータの前に「なんかちょっと違うような気がするけど・・・」と思っていてもそれらを論破する論理性がないのが直感です。

直感は「メタ認知」と呼ばれる脳の機能の1つです。

ただ、この機能には個人差があって、鋭い人と鈍い人がいます。

だから会議等で直感的な発言をしても同調者が少なく、統計やデータに負けてしまうのです。

ファッションの分野では売れ筋のデータを収集し、安価に大量生産した手法は売場の同質化を招き、失敗しています。

人工知能は情報の分析、仕分け、予測分野ではすぐれていますが質感の理解、意思、感情の分野ではとうてい人間を超えることはできません。

人間は直感を鍛えるべきです。なぜなら受験エリートのような頭の良さや計算力は、いずれ人工知能に置き換えられてしまうからです。

専門家は、直感力は訓練で鍛えやすいと言っています。

直感の鋭い人と一緒にいることや、新しい分野にチャレンジすることで新たな視点が生まれ、直感力は上がります。

やがて訪れる人工知能時代に備え、直感力を鍛えていきたいと思っています。

オジーに訊け!

オジーとは、伝説のロックバンド「ブラックサバス」のリーダー、オジーオズボーンです。

彼の人生は酒、クスリ、女というロックミュージシャンの典型的な破滅パターンを何度もくり返しながらも死なずにスターとして君臨しています。

そのオジーがある新聞の健康相談の回答者となり、大人気となったそうです。

健康になんの問題もない人よりも、人生の大半を健康に問題を抱えている人の方が健康相談の回答者としてふさわしいと思われたのでしょうか。

なにより、その問題の専門家なのですから・・・

しかし、その回答が爆笑ものです。

質問者 「二日酔いに最も効く治療法は何ですか?」

オジー 「これは簡単。ビールを1パイント飲むこと。あっという間に気分がよくなるよ。もう一度酔っ払う以外に方法はない。」

酒もクスリも尋常ではない量を摂取しても生きているオジー。

大学の研究室からDNA研究の依頼があり調査してみると、なんと結果は「遺伝子異常」

普通の人はオジーのマネをしてはいけません。

 

何を信じれば・・・

ドイツ自動車大手フォルクスワーゲン(VW)による排ガス規制不正問題が発覚し、大スキャンダルに発展しています。

真相はまだ全て解明されていませんが、検査の時だけ排ガス浄化装置をフル稼働させて基準値を満たす一方、公道走行時は最大40倍も排出していたという事実は悪質性が高いと言わざるを得ません。

うっかりミスや確認不十分といった過失的なものではなく、消費者を欺く意図があるという点で同情の余地はありません。

又、不正を指摘したのがアメリカの環境保護局で、欧州での指摘が今までなかった事も色々な疑念を生みます。

傘下にアウディやポルシェなどの高級車から商用車まで幅広いブランドを抱えるフォルクスワーゲンは世界販売台数1000万台を超えるドイツの大手自動車メーカーです。

巨額の税収と雇用を生み出しているフォルクスワーゲンにドイツ政府が強く言えない背景もあるようです。

そう思うと不正の温床はあったのでしょう。

ただ私は、ドイツ人という民族は、質実剛健でまがったことが嫌いのイメージがありました。

そのイメージがもろくも崩れ去りました。

せめて不正の摘発が社内、もしくはドイツ国内からあがっていれば、救いはあったかもしれません。

何を信じればいいのかと虚無感に襲われる事件でした。