千住ファミリー

先日、千住真理子さんのヴァイオリンコンサートに行ってきました。

千住真理子さんは2歳半よりヴァイオリンを始め、全日本学生音楽コンクール小学生の部で全国1位を獲得。12歳でNHK交響楽団と共演し、プロデビューをしました。

その後もレウカディア賞受賞。パガニーニ国際コンクールに最年少で入賞と輝かしい功績を残しています。

千住ファミリーは父(工学博士、慶応大学名誉教授) 母(エッセイスト、教育評論家) もすごいのですが、真理子さんの長兄はあの千住博氏(日本画家) 次兄は千住明氏(作曲家) という一家そろって才能あふれる一家です。

そんな千住家の母方の祖父は千住兄妹が音楽を親しむきっかけを作った人物でアインシュタインとも面識があったそうです。

その祖父が自宅で亡くなったときに千住明氏がその場で作曲したという「ラストナイト」

千住真理子さんのコンサートではその「ラストナイト」をはじめショパン「別れの曲」 ドビュッシー「月の光」など15曲。

時として軽んじられてしまう演奏時間の短い「小品」を重視している千住真理子さんならではの選曲です。

そこには短いけれど親しみやすい作品を弾き続ける千住真理子さんの多くの人に親しんでもらいたいという思いが感じられます。

退院での気づき

先日、約2週間の入院生活を経て、退院することが出来ました。

まさかこんなに長く入院をするとは夢にも思わなかったです。

私の人生においても大きな病気の経歴はないので、入院自体もはじめてでした。

はじめの一週間は治療のため絶食で、点滴のみで栄養補給をしていました。

人間は食べなくても点滴で生きられるのだと実感致しました。

それから三分粥、五分粥、七分粥、全粥、普通食とおなかがびっくりしないように徐々に段階を踏んでいっての退院です。

入院生活中は安静第一なので新聞、テレビが相棒でした。

おかげ様で衆議院選挙、ドラフト会議についてはかなりの情報通になれました。

2017年の選挙、ドラフト会議はある意味忘れられないものになりました。

そしてなによりも感謝したいのはサロンドグレー、クレッセントの社員さんたちです。

つらくて苦しい時もあったでしょうが、私のいない間、皆さんが協力して会社を守ってくれました。

本当にありがたかったです。

これからも健康第一に、明るく楽しい会社を目標に社員さんと共に歩んでいきたいと思っています。

入院での気づき

先日、おなかが痛くて眠れない夜がありました。

翌朝、大きな病院で診てもらうと即入院してくださいとのこと。

びっくりはしましたが、時折襲う激しい痛みをなんとかしてほしいという思いでいっぱいでした。

いろいろな検査の結果、病名が判明しました。

「絞扼性イレウス(腸閉塞)」

何らかの原因で腸管が締めつけられる病気です。

早速、手術が行なわれ無事成功しました。

たくさんの方々にご心配をかけてしまい申し訳ございませんでした。

ただ、はじめての長期入院生活で思うところもたくさんありました。

自分の回復を心より願ってくれている家族、親戚、社員さん、その他大勢の方々の存在に改めて気づけたことが一番大きかったです。

今、自分があるのはそのような人たちの支えがあってのことです。

神様がそのことに気づかせてくれたのかもしれません。

一日も早く皆さんの前に元気な姿を見せられるようにがんばります。

オードリー・ヘプバーン

先日、あるデパートで開催されていたオードリー・ヘプバーン写真展に行ってきました。

オードリー・ヘプバーンほど人々に愛され、後年まで語り継がれるスターはいないのではないかと思います。

少女のような清楚さ、子鹿のように愛らしい瞳、生まれもった気品、まっすぐな正義感、そして時代の流行を生み出してきたファッションセンス。

生まれながらのスターとばかり思っていました。

しかし、その写真展からかいま見る彼女の人生の成功は、才能ではなく努力のたまものであると感じ取れます。

少女時代はナチスの脅威にさらされた不安な毎日を送っています。

戦争が終結した後、フランス人作家コレットに見いだされ、舞台「ジジ」 の主役に抜擢されます。その後 「ローマの休日」 のアン王女役で華々しくハリウッドデビューします。

「麗しのサブリナ」 「ティファニーで朝食を」 「マイ・フェア・レディ」 と数々のヒット作に出演します。

その他にも心の葛藤に悩む修道女を演じた 「尼僧物語」、 幻想的な少女を演じた 「緑の館」 、社会派映画 「戦争と平和」、 西部劇 「許されざる者」 、レズビアンをテーマとした 「噂の二人」等、様々な役柄を演じ好評価を得ています。

それらは彼女のたゆまぬ努力の結晶なのです。

晩年はユニセフの活動に尽力し、アメリカ大統領から勲章も受けています。

米国映画協会が選定した 「最も偉大な女優50選」 で第3位にランクインしているオードリー・ヘプバーン。

彼女の人生や内面に思いをはせながら、まだ観ていない作品をじっくりと観てみようと思います。

書道パフォーマンス

全国屈指の紙の産地である四国中央市。

不況の影響で活気を失っていた地元のまちを盛り上げようと、愛媛県立三島高等学校書道部員たちが平成13年ごろから高校の文化祭や地元のイベントなどで音楽にあわせて大きな紙に歌詞を筆で書く「書道パフォーマンス」を始めました。

徐々に知られるようになり、平成20年 第1回書道パフォーマンス甲子園が四国中央紙まつりのイベントとして開催されました。

書を競い合う全国大会形式で始った本大会ですが、第1回の参加校はわずか3校。

しかし、平成22年に本大会がモデルとなった映画 「書道ガールズ!私たちの甲子園」 が公開されると人気は全国区に。

そして今年、平成29年 第10回大会では北は北海道、南は沖縄まで105校の応募がありました。

熱い戦いの内容は、1チーム12名までの選手たちが流行歌やBGMに合わせて6分間という限られた時間で縦4メートル×横6メートルの紙に作品を書き上げます。

勢いよく書き上った作品が掲げられると、会場からはどよめきと共に歓声と拍手が沸き起こります。

そして結果発表。

歓喜する笑顔の横で悔しさに涙を流す生徒たち。

しかし、最後にはやり遂げた満足感あふれる笑顔が浮かびます。

書道に青春を捧げた生徒たちの熱き戦いに今後も注目していきたいです。

君と歩いた青春2017

1960年代後半から70年代にかけて、大いに盛り上がったフォークソング。

現在の J-POPのルーツとも言われています。

その当時のムーブメントを作り上げたアーティスト達が毎年秋に大阪で「君と歩いた青春」というコンサートをしています。

今年で9年目を迎える恒例のライブなのですが、出演者がすごい。

伊瀬正三、イルカ、太田裕美、尾崎亜美、杉田二郎、姫野達也、南こうせつ、堀内孝雄、等々。

一定のお年の方ならわかると思いますが、若い人にはあまりそのすごさはわからないと思います。

なぜなら、そのメンバーで一番若い尾崎亜美さんでも60歳なのですから。

実は私、若い時に太田裕美さんのファンでして、今回このコンサートに行って来ました。

場所は大阪で一番収容人数の多い大阪城ホール。

なんとアリーナ席、スタンド席もほぼ満席で1万人位は来ていたのではないでしょうか。

中心層は私より少し年上の60歳代の方々です。

恐らく、お孫さんのおられるであろうおじいちゃん、おばあちゃん世代です。

「22才の別れ」「神田川」「なごり雪」等、その当時の曲が演奏されていくと、各々の青春時代にタイムスリップしていきます。

今聴いても全然色あせていない印象を受けるのは、名曲の証しなのだと思います。

安近短ライブ!

夏は音楽ライブが盛り上がる季節です。

近年、夏フェスなどの人気はうなぎ登りでチケットもやや高め。

会場が遠かったり、帰りの混雑にウンザリという人も。

そこで、最近は安くて近くて短時間、名付けて「安近短ライブ」を楽しむ人が増えています。

それは同じファンの友人たちが集まり、ライブDVDをカラオケ店で鑑賞するだけなのですが、侮るなかれ。

部屋を暗くし、手にはペンライトを持ち、プロジェクターで大きく映像を映し出すとライブ感はコンサート会場そのもの。

大音量で友人たちと歌ったり、お互いに体をぶつけ合う軽めのモッシュをしたり、大いに盛り上がることができます。

「アーティストをアップでみれる」 「好きな曲を何度でも聴ける」  「お酒やおつまみもOK」 「いつでもトイレに行ける」 など本物のライブ会場にはないメリットもたくさんあります。

今年の夏は安近短ライブで盛り上がりましょう!

藤田美術館

大阪にある藤田美術館の所蔵品は国宝9件、重要文化財52件を含む数千点にものぼる東洋古美術品です。

明治時代の実業家 藤田伝三郎とその長男 平太郎、次男 徳次郎が収集したコレクションで、それらを社会文化向上発展に寄与したいと藤田美術館は1954年にオープン致しました。

その藤田美術館が6月11日までの展示を最後に長期休館致します。

施設の全面建替えを予定しており、2020年の開館を目指すそうです。

藤田伝三郎は世間ではあまり知られていないと思いますが、幕末の動乱期、高杉晋作の奇兵隊に入隊、木戸孝允、井上馨、山縣有朋らと親しくしており、様々な事業を展開していました。

当時の関西財閥の重鎮で三井、三菱と並ぶくらいだったそうです。

藤田伝三郎の大阪本邸は太閤園、東京別邸は椿山荘、箱根別邸は箱根小涌園、京都別邸はホテルフジタ京都であったことからも藤田財閥の勢いがうかがえます。

その藤田コレクションの中で特筆すべきは曜変天目茶碗です。

瑠璃色の曜変と呼ばれる斑文は、まるで宇宙に浮かぶ星のように美しい輝きを放ち、品のある華やかさの中に落ち着きがあり、「器の中に宇宙が見える」と評されています。

曜変天目茶碗は南宋時代の中国で作られたとされていますが、現存するものは世界で3点のみ。そのすべてが日本にあります。

日本では室町時代から唐物の天目茶碗の最高峰と位置付けられ、時の権力者の所有物となっていました。

2020年、新しくなった藤田美術館で曜変天目茶碗を見てみたいです。

海北友松

海北友松(かいほうゆうしょう)は桃山時代の絵師ですが、その時代に活躍した狩野永徳、長谷川等伯にくらべてあまり知名度はありません。

友松は近江の浅井家の有力武将の息子として生まれます。

時は戦国時代です。3歳の時に父が戦死し浅井家は滅亡、兄達も討ち死にしました。

その後、京都・東福寺で禅僧となりますが、和尚の勧めもあり狩野派に入門します。

師匠の永徳が亡くなった後は独自の世界を展開します。

彼が画壇で頭角を現すのは60代になってからで、非常に遅咲きの絵師です。

京都・建仁寺の大方丈の間に描かれた「雲龍図」は縦2メートル近い画面の8面構成で「日本一の龍」と呼ばれています。

又、最晩年の水墨画の「月下渓流図屏風」は月明かりに照らされた春の宵の情景が見事に表されています。

上記の作品をみても友松が狩野永徳、長谷川等伯に影響を受けていることは明らかです。

しかし、友松は永徳や等伯のように自分の流派を広げようとはしませんでした。

そのようなことには関心はなかったようです。

武家出身の矜持、そして茶の湯や連歌に親しむ教養人としての誇りがそうさせたのかもしれません。

そんな海北友松の特別展覧会が京都国立博物館で4月11日から開催されています。

興味のある人は是非どうぞ。

 

ラ・ラ・ランド

「ラ・ラ・ランド」はゴールデン・グローブ賞の7部門、アカデミー賞の6部門を受賞した大ヒットミュージカル映画です。

ストーリーは売れないジャズピアニストとまだ芽の出ない女優の出会いから始まります。

ピアニストのセブは注文どうりに演奏しないので仕事が長続きしません。

女優の卵エマはオーディションに落ちてばかり。

しかし、二人の心の中は夢でいっぱいなのです。

セブはエマのために夢をあきらめようとしますが、エマはそんなセブを許せないのです。

観ている誰もが若い頃に経験したことがありそうな既視感。

美しいロサンゼルスの風景に対比して描写される厳しい現実。

夢を追うのか、現実的に妥協するのか、観客の胸に突き刺さります。

人生を振り返った時に、あの時あの決断をしていればどんな人生になっていたのだろうと思うことは誰にでもあると思います。

若い人よりも、長い人生を歩まれた人の方が心に染み入る映画かもしれません。